★痛みや体調不良の原因は鬱病かも

鬱病を「憂鬱な気分になること」とえらえていると、いろんな過ちを起こしてしまう。大塚クリニック(千葉市稲毛区)の大塚明彦院長は、鬱病を神経伝達物質の不足ととらえている。gooニュースより。

 大塚院長が診た患者に、30年間にわたりさまざまな病院を回ったあげく、医師に見放されて寝たきりとなっていたYさんがいる。Yさんは著名な生命科学者で、あまりの痛みに、命をつないでいた点滴による栄養補給をやめようと思い詰めていたが、大塚院長の診察を受け、抗鬱剤などを処方されたところ、1週間で痛みがとれ、寝たきりから歩けるまでに回復した。このときのようすはNHKでも放映され、原因不明の痛みに苦しむ全国の患者から問い合わせが殺到した。

 大塚院長は、Yさんのように病院を転々とする鬱病の患者が少なくない理由のひとつに、鬱病患者には、自分の体の状況について正しい認識ができなくなる「認知障害」があるためとみている。多くの医師は鬱病患者に認知障害があることを知らないため、正しい診断が下せない場合が少なくないという。

気になる人は、以下のチェックをやってみるといい。

(1)寝つきが悪い
(2)眠りが浅くて、目が覚めやすい
(3)よく夢を見る
(4)朝早く目が覚める
(5)疲れやすい
(6)頭痛や頭重がある
(7)肩や首すじがこったり痛んだりする
(8)食欲がなく、物を食べても砂をかむようだ
(9)はきけや嘔吐がある
(10)口がかわく
(11)最近やせた
(12)胃や腸の調子が悪い
(13)便秘(下痢)しがちである
(14)前胸部に圧迫感がある
(15)動悸がする
(16)体のどこかにしびれや感じのにぶいところがある
(17)体のあちこちが痛む
(18)尿の回数が多い
(19)月経が不順である
(20)性欲が低下した
(21)目が疲れやすい
(22)めまいや耳鳴りがする
(23)憂うつで、気持ちが沈みがちである
(24)希望がなく、この世からのがれたい
(25)何をするのもおっくうで、根気がない
(26)頭の回転がおそくなった
(27)記憶力が低下した
(28)注意の集中ができない
(29)いつも不安である
(30)体のことが気になる
(31)くよくよ心配ばかりしている
(32)人中に出るのがいやだ
(33)人並みでなく、気おくれがする
(34)朝目が覚めたとき気分がすっきりしない
(35)朝の方が体の調子が悪く、むしろ午後のほうがよい
(36)いらいらする
(37)何にも興味がない
(38)決断力が低下している
(39)自殺しようと思ったことがある
(40)くり返しこんな状態になる

※合計15カ所以上に「はい」があり、(1)~(4)と(34)(35)のいずれかに「はい」があれば、鬱病の可能性が高い

鬱病を、統合失調症や離人症などとは分離して、内科の病気として診断・治療できれば、もっとたくさんの人が救われるのではないだろうか。いや、単なる素人の考えでしかないけれど。

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★身近なところから、しっかり生きてみよう

いい恋愛をするためには、しっかり生きておくのが、遠いようで近道なんだと思う。「Attribute=51」より一部を参考にした。

ネガティブなことを言わない
ネガティブなことを口にすると、周囲を巻き込んで、そして周囲に自分が巻き込まれて悪循環に陥る。
他人を罵倒しない、足を引っ張らない、恨まない
「罵倒しない」というのは、ネットでは意外と難しい。悪口を書く方が人目に付くし。人の足を引っ張ったり、恨んだりすると、その分、人間が腐敗する。顔がゆがむ。
「辛いときはグチればいい」とか考えない
愚痴を言うのはいいけど、「同僚が悪い」「嫁が悪い」「社会が悪い」という結論なら、その愚痴は自分を腐らせるだけ。「それで、お前はどうしたいんだ?」と聞かれたときに、「でも、ここで頑張る」って言えないような愚痴は止めた方がいい。
意地悪しない
悪意は、悪友をたくさん引き連れて、自分のところに戻ってくる。意地悪をしている人の顔を見るといい。何か変なものがたくさんくっついているから。

自分の育ってきた環境を嘆く気持ちはわかるけれど、そんな自分を救うのもまた自分しかいない。じっくり焦らず、一歩ずつ進んで欲しい。そんな人には、誰かが手をさしのべてくれる。誰もいない?じゃあ、ボクがその役をやる。もしボクのことを気に入ってくれれば、だけど。

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★人生には時間が必要だ

「他人より10年遅れている」と、昔、父は言っていた。家庭の事情で中学を卒業してすぐに働き始めたがために、仕事のやり方がすべて自己流になってしまい、しなくてもいい失敗を繰り返したからのようだ。その父の息子である私もまた、別の理由で他人より10年も社会に出るのが遅れた。

親子そろって、大きな回り道をしていたわけだが、仕事を引退するまでに稼ぐカネの金額や成し遂げることができた仕事の量という点では、こういう回り道は当然マイナスにしかならない。しかし、視点を変えれば、どうだろうか。池田晶子・大峯顯「君自身に還れ」。240ページ。

池田 真理であるならばそれは必ず現れるはずだと、先生仰るわけですね。
大峯 そうです。
池田 そうですか。十年すればわかるかもしれない
大峯 そうそう。そんなに早くわかってもらっちゃ困る(笑)。なま覚りになるから。
池田 とても覚ってませんから。いえ、方角はわかってるんですけれどね。
大峯 だけどね、やっぱりこれには時間がいるんですね。
池田 私はそのために人生があるんだと思っています。
大峯 人生の時間の意味っていうのはそういうことではないかと思う。今すぐには決められないんですよ。

真理、すなわち「ほんとうのこと」を知るためには時間が必要だと言う。まったくそうだと思う。回り道した10年の間に、明らかに「ほんとうのこと」には近づいた気がする。池田のように「方角はわかって」いたとも言えないが、しかし、回り道する前と比べると、「ほんとうのこと」が少しだけわかった。今も、ほんの少しずつだけど、「ほんとうのこと」に歩み寄りつつあるように感じている。とはいえ、「ほんとうのこと」をこの手でつかむことはできない。近づくことができるだけ。どうせこの手につかむことができないなら、いつ死んでも同じ。だから、早死にしないかとおそれることはない。

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★聖書をどう読むか

たいていの宗教には、教典が存在する。すると、必然的に生じてくるのが教典の解釈の問題だ。テクストの理解は解釈を必要とする。宗教の教典のように多義的なものは特にそうだ。池田晶子・大峯顯「君自身に還れ」。200ページ

池田 だからイエスキリストも聖書で、私はメタファーで語るぞ、と最初から言っているんですよ。それをみんな字義通りに受け取ってしまうから。
大峯 そう、だからイエスが水の上を歩いたとかいう聖書の記述でも、奇蹟のように解するけど、あれは要するに、人間というものは信仰によって常識を越えた世界に入れるんだということを言っているんです。あれは各人のことで、何もイエスだけの特別な奇蹟じゃないです。ぼくは聖書の言葉をほとんどそういう具合に読んでいます。でも、非常に教条主義的な信者たちは、それはやはりイエスだけにできたことだというふうに考えますね。

聖書はメタファーだと考えれば、いろんな問題が解決する。イエスは死んだ後、三日後に復活したという記述を読めば、現代人は「そんなバカな」と言う。しかし、何らかのメタファーであると考えるなら、「死んだ後に復活した」と書いてあっても、「正しいものは、一時的になくなったように見えても、すぐに蘇るのだ」とか、「苦しんで得たものは、必ずためになるのだ」とか(これらは、出来が悪い例に過ぎない)、テクストの解釈という段階に移れる。テクストの解釈では、「正しい」「間違っている」の二律背反ではなく、「どの程度正しいか」「説得力があるかどうか」「自分はどう考えるか」といった尺度で物事を考えることができ、正しいか間違っているかの二律背反よりもずっと生産的だろう。

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★アナタも私もいずれ死ぬ

2ちゃんねるのまとめブログ(アルファルファモザイク)より。

誰でも、いつか必ず死んで焼かれて終わり、ということを普段忘れてるもんな…。どんなに幸せな家庭を築こうが、どんな不幸な目に遭おうが、どんなに有名になろうがなるまいが今楽しくても辛くても、行き着く先は遅かれ早かれ必ず死だもんな。/先に死んで行った人達がそうであるように自分が死んでも世の中は何の変化もなく、時代は流れて月日は過ぎていくんだもんな。(本文46)

そう、まったくその通り。死は、交通事故のように、たまたま運の悪い人が遭うものではなく、生まれてきた人全員が必ず出くわすものだ。元記事にもあるが、死ぬことは不幸だとすれば、人間は残らず不幸である。あるいは、人生の最後に不幸に遭遇することになる。それは「不幸」という言葉の定義にそぐわないのではないか。元記事の、次のくだりは記者の浅はかさを露見するものだと思えて仕方がない。まあ、新聞記者では、いくら年を取ってもこの程度かもしれないが。

がんで体を病んでから、例えば家族に手を握られた時のぬくもりといったささやかなことにも幸せを感じられるようになったとすれば、死はその患者にとって不幸なものではなくなっているかもしれない。(中略)結局のところ人生の終わりの幸、不幸は、その時が来てみなければわからない、というよりその時の心の中にしか本当の答えはないのではなかろうか。

問題は、むしろ、「幸福」「不幸」の言葉の定義だよ。もし「幸福」を「老いても、好きになるお金が多いこと」だとすれば、幸福になるのは簡単だ。人から盗んででも、人を騙してでも、蓄財すればいい。それで「幸福になれる」と考える人に言う言葉はない(「それは、真の幸福ではないぞ」という言葉も不要だ。お節介である以上に、それを他人に向かって言うことが間違っているから)。あるいは、世間で、ネットで、自分の名前が取り沙汰されるのを「幸福」だとするなら、あることないこと書きまくって、「釣り」を仕掛けるのがいい。間違っているかもしれないことでも、世間の目を引けばいいのだから、これもまた簡単な話だ。才能は必要かもしれないがね。

しかし、それらに満足できないなら、「ほんとうの幸せって何か」ということが気になるなら、去っていった女のことをいつまでも忘れられないなら、最後には死んでしまうことが気になるなら、「幸福」と「不幸」の言葉の意味について、考え続けることを強くお勧めする。ちなみに、私も考え続けることになるはずだ。

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★幸せになるには

「幸せとは何か」とか「どうすれば幸せになれるか」とかについての言説は、古今東西、枚挙にいとまがない。この問いには、論じる人の立っている場所によって、いろいろな答えがあり得る。「どれが一番正しいのか」というのは意味がないと思う。むしろ、「自分にとって何が必要なのか」を考える方が実りがある。

さて、池田晶子・大峯顯「君自身に還れ」をさらに読み進めていると、こんなところがあった。148ページ。

大峯 幸せっていうものは求めるものじゃないんだな。「幸せっていったい何だろうか」と考える人が幸せになっていくんですね。幸せを生き甲斐、幸せを人生の目的にしなかった人が、顧みると「ああ、自分は幸せな一生だったな」というふうに思うんじゃないでしょうか。(中略)やっぱり、本当のことを知らないと、本当に生きたことにならないものね。(中略)やっぱり本当のものですよ、本当のものに出会ったら人間は満足する。(中略)人間はいつ満足するかというと、嘘でないものに出会ったら満足するんです。

自分自身を振り返ってみると、本当のものに出会ったら、確かに満足する。後悔しない。実生活で本当のものを追い求めるのは難しいが、常に本当のものを求め、それ以外のものを二次的だとすることによって、何か得られるのではないか。お金や名声ではなく、別の何かが。

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★死を乗り越えるために最低限必要なこととは

先日、大学院在学時代の先輩が亡くなった。50歳にまだなっていなかった。いろんなことを教えてくれた人で、私の人生の恩人だ。今のように、文化に関心を持つ生活を送れるようになったのは、その人のおかげだ。数年前に、同じ会社に勤めていた同僚が30歳で亡くなったのを聞いて、とてもショックを受けたが、そのときよりもずっと近い人が亡くなって、しばらくずっと考え込む日々だった。池田晶子・大峯顯「君自身に還れ」90ページ。

大峯 果たして死は万一でしょうか?すべての人が死ぬのに。
池田 100%ですよ。
大峯 100%です。(中略)自覚がなければ死を超えられないですから。死の自覚があって初めて死を超えることができるんであって、自覚がなかったらダメですね。(中略)死に出会ってびっくりして目が覚めて考え始めるんだね。人間に思考を最初に与えてくれるものは死ですよね。
池田 必ず死ですね。そして、変わらぬものと変わらないものへの思索が始まる。
大峯 知は驚きから始まる。驚かないと哲学は始まらない。
池田 「いつまでテキスト読んで哲学やってるの、あんた死ぬんでしょうが」と言ってもわからないんですよ。驚かないもの、驚けとは言えないんですよ。

「私はもうすぐ死ぬ」という自覚なしに死んでしまうことほど不幸なことはないと思う(「もうすぐ」というのは、哲学的な意味合いであって、時間的に5分後とか、そういう意味ではない)。私自身も、アナタも、愛する人も、憎むべき人も、お金持ちも、貧乏人も、優しい人も、犯罪者も、首相も、教祖も、みんな死んでしまう。それこそ、100%の確率で。現に、著者の一人である池田晶子も亡くなった。亡くなった先輩が、そのことを自覚して亡くなったのであればいいのだが。いや、すべては後の祭り。合掌。そして、涙。

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★「私はなぜこんなに不幸なのか」を考える

人生は1つの「物語」だという考え方がある。いや、「歴史」と言った方がいいのかな。物事が単純に並んでいるだけでなく、そこに「解釈」が入り込むことによって、人生はすばらしいものになったり、ひどいものになったりする。「他人の力を借りていいんだよ」(大下大圓、講談社)より。

「自分はどうしてこんなに不幸で、なぜ自分ばかりこんなに苦しまなければいけないんだ」という思い自体、じつは自分が作った1つの物語に過ぎません。その物語を書き換えてしまえば、同じ現実であっても、意味合いがまったく違ってきます。人生は変わらないけれども、人生という名の物語は、いつだって書き換えることができるのです。/人生というのは、あなたがどう生きたいか、あなたが生きたいと思っているかを反映し、その通りの人生になっているのです。(p.119より)

このブログのテーマは恋愛・結婚だから、それに引き寄せて考えてみよう。40過ぎまで結婚できず、自分は「藻男」(モテない男)だと思いたくなるときがある。なぜ、結婚を考えたくなるような女性が現れないのか。あるいは、結婚を考えたくなった女性と、なぜ最後までいけなかったのか。なぜ、踏み込みたくなるタイミングだと思ったときに、相手の女性はいなくなったり、引いてしまったりするのか。どこかでうまくいってもいいじゃないか。

いや、理由はどうでもいい。どうでもいいというのは、それぞれケースバイケースであり、一般化できないからだ。「デレツン」であることがはっきりして、私の方から嫌気がさすこともあったし、相手の病気が判明してダメになったこともあったし、その他、いろいろな理由でダメになってきた。

しかし、いくつかの出会いは、大変貴重なものであった。自分自身を大きく成長させてくれた出会いもあった。結果は残念なものだったが、人生の経験を積むという面からは、うまくいかなかったからこそ味わえたことも少なくない。こと恋愛・結婚という面から見れば、私は「人生を楽しむ」ことは十分でないのかもしれないが、「人生を味わう」あるいは「人生を考える」ことは、それなりに行っているような気がする。

そう、実は私は「人生を楽しむ」ことを良しとせず、「人生を味わう」こと、および「人生を考えること」を求めてきたのかもしれない。もう少し楽しい思いはしたいものだけど、でももっと深い味わいを求め、そして深く考えていきたい。きっと私はそう思っているに違いない。

ううむ、もしかすると、心配しなくても、正しい道を歩んでいるのかもしれないなあ。

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★森岡正博「宗教なき時代を生きるために」読了

しばらく前に森岡正博の「宗教なき時代を生きるために」を読了した。両親がカトリックであるため、もともとは信者なのだが、教会から足が遠のき、宗教そのものから離れてもう20年以上になる。ただ、最近、宗教(あるいは宗教的なモノの考え方)の重要性は感じるようになってきた。特定の宗教の教義解説本は、仏教の入門書を除き、ほとんど読む気にならないが、人間の持つ宗教的なモノの存在理由には強い興味がある。森岡正博は、まったく別のテーマについて書いた本を以前ここで引用したこともあり、注目している思想家の一人である。

で、「宗教なき時代を生きるために」だけど、読んでいて気になった部分を次に引いておく。

唯物論にも陥らず、かといって「信仰」に基づいた宗教の道にも入らずに、それらの問題を自分自身の目と頭と身体と言葉を使って最後まで探求してゆく、そういうやり方があるはずだ。人生は短い。それらの問いの忘却によって、短い人生をつぶしてしまうのではなく、生きている間をかけて、何度も何度も自分のペースで問いを繰り返し問い詰めていく、そういう道があるはずだ。/私は、そういう道を、私なりに模索してゆく。(p.64)

宗教を「信仰」すると、どうしても判断停止、すなわち疑うことを止める必要が出てくる部分が必要となる。それは絶対に避けたい、と森岡は考えているようだ。

あと、私自身の考え方と似通った部分があったので、次に引いておく。

山折哲雄は、「信仰」の世界にはいるか、そうでなければ宗教のことを「観客」として見るか、という二分法を使っていた。私はその図式を批判して、その間をゆく第三の道があるはずだと述べた。/その第三の道の可能性がもしあるとすれば、それは次のようなものであると思う。/それは、生と死や「いのち」や存在の問題に目隠しをする唯物論の社会、科学主義の社会に異議申し立てをしつつも、それらの問題に対する解答を決して宗教の「信仰」には求めず、そしてどこまでも思考放棄せずに、自分の目と頭と身体と言葉を使って自分自身でそれらの問題を考え、追求し、生きていくという道である。そうした生と死と存在の問題の追求を(中略)他者とのコミュニケーションを通じて、自分一人の責任において行い、自分自身の生死に決着を付けていくような道である。(p.58)

森岡が採ろうとしている道は、私も興味がある。しかし、端的に、それはそもそも可能なのだろうか。

話はまったく変わるが、今、松岡正剛の「17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義」を読んでいる。昔、「編集工学」という言葉を初めて聞いたときにはとても新鮮に感じたし、松岡の本を読んで目の覚めるような思いをしたのだが、この本にはそれほどの魅力を感じない。なぜかはわからない。読了するまでに、その理由に気づけば良いのだが。

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待つということ

世界中の産業が、ジャストオンタイムで動いていこうとしている。テレビのドキュメンタリーを見ていたら、米国のある靴メーカーの話題が取り扱われていた。

生産拠点は香港近くの工場だ。米国内の小売店での売れ行きによって、生産するタイプと数が決まる。決定すると、発注後、数週間で店頭に並べたい。メーカーのそんな要求に応えるべく、工場は特別体制を組み、運送会社はトラックと船、鉄道、時には飛行機まで動員して、製品を運ぶ。

現代は、消費者に「待つ」ことを期待しない。今、ほしいものを提供し、今、楽しんでもらうために、最大の労力を払う。米国に限らず、日本も事情は同じである。

さて、そういったビジネスでの時間の流れと、全く異なる物差しで測らねばならないのが、子供だろう。「早くしなさい」が口癖の親がいれば、子供のやることをじっと待っていられる親もいる。後者の方が望ましいあり方であるのは言うまでもないが、ジャストオンタイムが重んじられる現代では難しい。

意のままにならないもの、偶然に翻弄されるもの、自分を超えたもの、自分の力ではどうにもならないもの、それに対してはただ受け身でいるしかないもの、いたずらに動くことなくただそこにじっとしているしかないもの。「待つということ」(鷲田清一)

「待つ」ということを、もう一度考え直す時期にきているのかもしれない。

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★自分を認めることが恋愛への第一歩

心理カウンセラーの清水おりえ氏は、恋愛に成功するには、自分を認めること、“I'm OK.”と言えることが重要だという考えのようだ。MSNパーソナルズから。

“I'm OK”とは自分には優しいとき、美しいところ、温かいところといったいい所や気に入っているところがある。反対に泣き虫なところ、意地悪になってしまうとき、人の目が気になってしまう傾向といったところもある・・・。

このような一面を「そういうところもあるよね。」と認めてあげ、今の自分はそれでもいいの。これからいくらだって今よりも良い自分を創っていくことはできるんだから。今の自分に優しくフォローしていけばそれだけでいいんだから。と思うこと。

“I'm OK.”と英語を使っているあたりに、若さが見え隠れするが、それはまあいい。ここでの“I'm OK.”というのは、「自分を認める」ことを指す。「決して、私なんてとは思わずに自分には素敵なところがいっぱい詰まってると思って」、あるいは、自分にはいろんな欠点があるが、しかし、それでもいいと考えること。この考え方は、心の健康な人にとっては自然な考え方だが、長く非モテの時期が続いた人には、マイナス思考が根を下ろしていることもあり、「自分を認める」ことが難しいことが多い。

では、どうすれば“I'm OK.”と思えるようになるのか。清水氏は、3つ挙げる。1つ目は、「自分の心地よさを大切にする」こと。無理して他人にあわせたり、他人と付き合ったりせず、自分が心地よいことを大切にする。これによって、自分を大切にすることができ、“I'm OK.”につながる、ということらしい。

2つ目は、達成すべき目標をはっきり定めておくこと。女性なら、たとえば「自分のかわいいところを認めよう」という目標を決めると、自分を認めやすくなり、“I'm OK.”と言いやすくなる。3つ目は、自分のいいところに対して、「こんなことはできて当たり前だ」と思わないこと。自分の中で素晴らしい部分があれば、それを認め、「これができるなんて、素晴らしい!」と自分に言うこと。

いくつか引っかかった点があるので、そこを指摘しておきたい。まず、1つ目の「自分の心地よさを大切にする」だけど、これを金科玉条としているのではないかと思われるような人にあったことがあるが、とてもうさんくさく感じてしまった。「自分の心地よさを大切にする」を推し進めていくと、自分の視点からしかモノを見ないことになるのではないか。どうしても困った状態に陥ってしまって、「AかBか」という選択肢を突きつけられたときに、「自分の心地よさを大切にするのが原則だ」と気付くのはいい。しかし、日常生活の雑事に至るまで、すべて「自分の心地よさ」を物差しにするのは拙いのではないか。

また、「自分を認める」という言い方は、「自分を愛する」という言い方と同じように、意味がはっきりしないように感じる。「自分を認める」というよりは、「自信を持つ」くらいの方がイメージしやすいだろう。

いずれにしても、自分を認めることは、いい恋愛をするための第一歩だろう。

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★「セックスボランティア」で検索してきた方々へ

ボランティアではないが、障害者の性欲を満たすための仕事として、デリヘル(デリバリーヘルス)嬢をしていた人の本があるので、紹介しておこう。

大森みゆき著「私は障害者向けのデリヘル嬢」(ブックマン社)

風俗で半年働いた後、介護経験のないまま、障害者向けのデリヘル嬢になってしまった著者が、いろいろな障害者との出会いを綴った本である。深い考察はないが、ノンフィクションとしてはなかなか楽しめる作品だ。

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★そんなに答えが大切ですか?

昔、30代になったばかりの頃、数人の既婚女性と継続的にメールで込み入った話をする機会があった。先に断っておくが、彼女らと恋に落ちたわけではない。人生や仕事や社会や、もろもろのことについて、さまざまな意見交換をした。

彼女らは、当時、私よりも年上であったし、社会的にも地位があったり、そうでなくともそれなりの評価をもらえたりで、私の方が教えを請う立場にいた。

彼女らは、私がいろいろなことに迷っていると、「自分の好きなように生きるのがいい」とはっきりと言ってくれた。大変明快な答えだった。理路整然としており、出発点となる部分に感情が含まれていたとしても、それはすでに解決済みであった。答えに揺らぎはなかった。その頃の私は、それに引き込まれた。考え方も彼女らも、大変魅力的だった。

しかし、今はそうは思わない。複雑さを排除したところにあるのは、浅薄で普遍性のない答えでしかない。私はそれで満足できない。だから、もっと考える。大切なのは、答えではなく、考えることそのものだ。

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★命の器

再び、宮本輝「命の器」より。人の出会いは必然だと宮本は言う。

運の悪い人は、運の悪い人と出会ってつながり合っていく。やくざの元にはやくざが集まり、偏屈な人は偏屈な人と親しんでいく。心根の清らかな人は心根の清らかな人と、山師は山師と出会い、そしてつながり合っていく。実に不思議なことだと思う。“類は友を呼ぶ”という諺が含んでいるものより、もっと奥深い法則が、人と人との出会いを作り出しているとしか思えない。(59ページ)

「君の友人を示せ。そうすれば、君の人格を当ててみよう」という内容の言葉を言ったのは、古代ギリシャ時代の賢人だったと思う(名前は忘れてしまったけど)。うわべはそう見えなくても、自分という人間を徹底的に調べてみれば、そうなっていることに気付くはずだ、とか。

私も、自分の周りの人と自分自身のことを考えてみた。長く付き合っている人は、世間的な意味での成功に価値を置かない人が多いようだ。男性も女性もそうである。単一の価値観だけで計ること、計られることを拒否したい人が、私の周囲には多い。裏を返せば、事業の成功者はいないし、大企業の社員もいない。子育ての過程や結婚生活で苦労して、そこからプラスのものを得た人が多い。一番変わった人と言えば、性同一性障害の男性がママをやっているスナックの経営者の女性だろうが、彼女を計る物差しは普通の人にはない。

…なんだ、異業種交流会に出かけなくても、十分“異業種”の人と交流があるじゃないか。安心した(笑)。

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★5分間悲鳴が続いて警察を呼ばない方が変では?

11月17日未明に大阪で起きた殺人事件では、5分間悲鳴や物音が続いたらしい。ソースはこちら

大阪市浪速区のマンションで17日未明、飲食店勤務上原明日香さん(27)と妹の千妃路さん(19)が刺殺され、部屋が放火された事件で、女性の悲鳴や物音は、午前2時すぎに約5分間でやんでいたことが18日、分かった。府警浪速暑捜査本部は、犯人が2人に抵抗する間を与えず、極めて短い時間で殺害したとみている。

「オマエはどうなんだ」と聞かれると、実は答えに窮するのかもしれないが、あえて書く。5分間悲鳴が続いているのに、警察を呼ばないでいることの方が変だ。いや、「変だ」と思うのが普通であるような社会に住んでいたい。

犯罪の検挙率が下がっていると言われているが、下げているのは我々のような一般市民のせいなのかもしれない。

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★男は「内なる女」を心に持て

男は、思春期以降、自分の中に「内なる女」を抱えておかねばならない。女と簡単に付き合うことのできない時代に思春期を送った作家、宮本輝はそう言う。「命の器」より。

私の中にひとりの女が住みついたのは、実物が手に入らなかったためだと言えば言える。少なくとも、それが大きな誘因となっていることはほとんど間違いないだろう。だが、少年たちが、生きた性の対象を容易に手に入れることができたら、彼らは「美しい女」を密かに心に隠し持ったりするだろうか。(中略)どちらがいい悪いの問題ではなく、どちらが精神の複雑さを学んだかの問題なのだ。(93ページ)

宮本は、この「精神の複雑さ」を「詩人の心」と言い換える。ふん、と鼻で笑うなら笑え、とも言う。私は、この表現そのものには作家特有の甘さを感じるので、ちょっと馴染めないところがあるが、思春期の男が我慢することなく、女と交わることができたら、やはり何かが欠けてしまうような気がしなくもない。それは、自分の欲望と根気強く付き合っていくという、本人には苦しい体験を経るかどうかと関係あるかもしれない。

たとえば、美少女アニメに性欲を向ける、いわゆる“萌え”文化の消費者(オタクの一部)たちは、自分たちの欲望を簡単なモノに対象化してしまう。対象化された性欲は、多様性を欠き、もはや何ももたらさない。“萌え”文化に問題があるとすれば、私はそこではないかと思った。もちろん、性については、“萌え”文化の消費者だけが問題なのではない。ナンパ師も、ほぼ同じ理由でアウトだろう。

とはいえ、思春期に異性に近づけないというのは、ある種の男にとって、女には想像も付かないくらい苦しいものである。自分の中に「女が住みついた」などと悠長に言っていられないこともある。もはや今の私にはほとんど関係ないことだが、解決方法はと聞かれたら、答えに窮してしまう。私に息子がいなくてよかったのかもしれない。

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★なぜ男はセックスをしたくなくなるのか

30代既婚女性の相談。結婚4年目、2人の子供に恵まれ、まめな夫に幸せを感じているが、セックスがないことに不満を持っているらしい。読売新聞のサイトから。

夫婦生活がほとんどないことが不満です。はじめは夫も疲れているのだと自分に言いきかせてきましたが、思い切って「私のことを嫌いになったの」と聞きました。夫は、結婚して心が満たされているから、必要性がないというようなことを言うのです。 マイホームパパで、浮気している形跡はありません。でも、私は日々ストレスがたまり、誰にも相談できないでいます。いっそのこと、浮気すれば楽になると何度も考えました。 申し分のない夫でも、ともに暮らしていくことに疑問を感じてしまいます。

心が満たされた女性は、次に体も満たされたくなる。心が満たされないから、体を満たしてしまいたくなる女性もいるけれど、その試みから出てくるのは、さらなる心の渇きだけだ。

回答者の心療内科医の海原氏は「あなたが満たされないのは、夫との間に全人格的なコミュニケーションとしての性が欠けているからではないでしょうか。いくら浮気をしても、第二の欲求は満たされません」とアドバイスする。男性の方は、“結婚して心が満たされているから、セックスの必要がない”と言っているが、実は心が満たされているのではなく、(今以上に)心を満たす必要を感じていないのである。となると、いくら女性が“体を満たすことで、もっと心も満たしたい”と思っても、すれ違いになるのが当然だ。

結論は月並みで、“とにかくコミュニケーションをもっと親密にとりなさい。大切なことを口に出して話し合いなさい”ということになるが、(今以上に)心を満たす必要を感じていない男性が、“体を満たすことで、もっと心も満たしたい”と思う女性に歩み寄れるかどうか。

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★19歳の50人に1人が妊娠中絶経験者

厚生労働省の調査では、19歳女性の50人に1人、18歳女性の64人に1人が人工妊娠中絶をしたことがあるらしい。ソースはこちら

19歳の女性の50人に1人、18歳だと64人に1人の割合で2003年度に人工妊娠中絶をしていたことが2日、厚生労働省の統計で分かった。10代を1歳刻みで集計したのは初めて。10代の中絶率は前年度より微減したが、10年前の約2倍と依然多かった。厚労省は10代女性の身体と心を傷つける中絶の減少を母子保健10カ年計画で目指しており「ショッキングな数字。学校や市民団体と協力して性に関する知識の普及啓発をしたい」(母子保健課)としている。

「妊娠中絶が、若い女性の心身に悪影響を与える可能性が大きい」ということに、異論はあまりあるまい。ゆえに、減らすべきなのは当然としても、どうすれば減らせるのか。保健衛生的な側面からだけでなく、教育面からのアプローチが必要ではないか。厚生労働省だけでなく、文部科学省なども協力してあたるべきだと思う。

しかし、10年前の約2倍の比率で妊娠中絶の経験者が増えているとのことだが、同じ割合でセックスの体験率が上がっているとは思えない(このあたり、論拠にするには、精確な数字が欲しいところだけど)。いろいろな情報を総合すると、避妊に関する意識が低下したのかもしれないと思うのだが、いかがなものだろうか。

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★10代前半のHIVウイルス感染者が増加している?

道徳云々の問題ではなくなっているようだ。20代前半のエイズ発症者が急増しているらしい。ソースはこちら

新規にエイズを発症した20代前半の患者数が急増しており、中高生ら若年層の間にエイズウイルス(HIV)が広がっている恐れがあることが21日、厚生労働省のエイズ動向委員会(委員長・吉倉広・前国立感染症研究所長)のまとめで分かった。エイズは感染から発症まで約10年の潜伏期間があるとされ、20代前半での発症者は10代前半に感染した可能性が高いとみられる。

もしこれが事実であれば、何らかの手を打たないと、さらに若者を中心にHIV感染者が増える可能性がある。高校入学時と卒業時に検査を義務づけるなど、強制的な措置が必要かもしれない。

ただし、この手の話は、道徳至上主義者(?)によって“創作”されることがあることに注意したい。この下の記事にあるように、東京都が条例で中学生以下のセックスを禁止しようとしているのを考えると、タイミングがよすぎる・・・かも。

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★幸せは命の長さでは計れない


小田和正の歌声にのって、眉毛が印象的な男が、ダウン症の幼児をしっかりと抱きしめている姿が映し出されるCMをご覧になったことがあるだろうか。加藤秋雪くんは、ダウン症に特有の心臓疾患で、小学校入学を目前に6歳の生を閉じた。加藤浩美「たったひとつのたからもの」から。

「人の幸せは、命の長さではないのです」 これは、ある医学雑誌に載っていた小児心臓病専門医の言葉である。(中略)得体の知れない将来のことをあれこれ悩む前に、今、このときの一分一秒を秋雪が楽しく過ごすことができるように。それだけを願っていたから。一日の生活の中で何回笑った?何が楽しかった?と、夜眠る前に一つでも二つでもほほえみとともに思い出せることがあれば、人生それで十分だ。(169ページ)

どう見ても熊みたいな眉毛の(失礼!)父親が、子供をしっかり抱いている姿。引き留めておかないと、すぐに子供の魂に羽が生えて飛び去ってしまうと思っているのか。いや、違う。自分より先に飛び去ってしまうことが、はっきりとわかっている子供の魂を慈しみながら、ただ一緒にいようとする、父親の姿がそこにある。

こういうコトが世の中にあるのを知ってしまうと、「結婚後の収入はどのくらいになりそうですか」とか、「アナタの将来のビジョンをはっきりしてください」とか、そんな質問に答える気はなくなってしまう。まあ、結婚とは実生活をどう営むのかということと切り離せないから、確かに重要な質問だろうけれどね。ただ、何よりもそこを優先する気持ちは、一生理解できそうにない。

いやいや。男性諸氏は、結婚したいなら、こういうコトが世の中にあることなんか忘れて、収入が今後増えるだろうということを、せいぜい彼女にアピールするのがよろしかろう。女性諸姉は、カッコよくて、夢を語れて、収入が増えそうな彼氏をゲットするのが“幸せ”への早道である。間違いない。

(追記)
読めば読むほど、仕掛けだらけだなあ>このテキスト。

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★ピンクリボンキャンペーン実施中

現在、あちこちのサイトで乳ガンの早期発見・検診・治療を訴えるピンクリボンキャンペーンが実施されている。Yahoo!JAPANのサイトはこちらから。

ちなみに、男性も乳ガンにかかることがあるそうだ。

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