2008年1月12日 (土)

★仏門に入りたい既婚女性はセックスを拒否できる?

ゴリラブーツ」さんで見つけたYahoo!知恵袋の質問から。女性の質問だ。

妻に「風俗にでも行って欲しい」と言われたら嫌ですか?セックスを完全に卒業したいと思っています。

1年ほど夫から誘ってくる事もなく、大丈夫なのかなと私のほうから声をかけてするということばかりでした。その時、夫はそんなに性欲が無いのに、私の性欲に合わせようとしてくれているのではないかと漠然と思っていました。結果、私から誘う事も一切辞めました。

その後、私自身が妊娠しても100%流産する体質とわかり、セックスで生まれる奇跡のないことを知り、新しい趣味を見つけて没頭するようになり、セックスへの比重はゼロになりました。夫自身もセックスはしたくないんだろうと思っていたのですが、1ヶ月ほど、まったく誘わなくなったら夫のほうから、毎週誘ってくるようになりました。

正直言って、もうしたくないので、超冷凍マグロ状態です。無理にする事でもないと思っています。敢えてしなくてもいいように、夫と私のベッドの間を開けました。夫が眠ってから、寝室に行くようにしました。夫が起きる前に起きるようにしました。

きちんと話し合いを持つことも大事だと思うのですが、私自身が生涯もうセックスをしたくないということとその条件に「風俗や浮気はしてもいい」と出せばいいのかなと、思うのですが、やっぱり簡単ではないですよね。

補足 したくない理由と聞かれると、セックス自体に夢中になれるというか、一般的に言われているような快感を感じた事が無いので、したいと思う気持ちが良く理解できないというのもありますが、大きいのは信仰心といえば大げさなのですが、将来的に仏門に入りたいという希望があり、煩悩を消す事ができたという状態に近いです。

2つの見方ができる。1つは、夫婦としての生活を営むことを前提としての見方。この見方では、この女性はひどく自分勝手だ。何より、セックスを快楽を得るものとしてしか考えていない。あまりにも浅はかだと思う。セックスの目的は、生殖と快楽だけではない。コミュニケーションという意味合いもあるのだ。

行為の中では、「ボクを認めてくれる?」「私はあなたにとって大切な存在なの?」という問いかけと、それに対する答えが錯綜していく。この女性の夫が、この女性と同じように、セックスを快楽だけのためのものだと考えていればいい。しかし、夫がセックスによるコミュニケーションを求めていたら、問題は深刻になる。私がこの女性の夫の立場だったら、子供もいないことだし、「今すぐ出て行け」と追い出すかもしれない。

もう1つの見方は、「仏門に入りたい」という希望を尊重する見方。釈迦は妻子を捨てた。本当に出家するつもりなら、離婚を覚悟して夫とのセックスを拒否しても仕方ないだろう。私がこの女性の夫なら、この場合は、諦めるな。もちろん、離婚するけど、友人でいられるかもしれない。

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2007年12月13日 (木)

★男と寝たい女を救う男はいるが、彼女が欲しい男を救う女はいない

はてな界隈でいろいろ取り沙汰されている話の中に、男女の間の違いを際だたせる記事を見つけたので、紹介。hashigotanさんの「heartbreaking.」から。ちなみに、hashigotanさんは三十代女性らしい。

高級ホテルとか、ディナーとかは興味なくて、安いホテルでもいいから二人で抱き合いたいだけなんです。

このようなhashigotanさんに対して、二人の男性が申し出ているらしい。いろんな悩みがある女性が自分をさらけ出して、「深く関わりたい男性がいれば一緒に寝たい」と言えば、「ぼくはあなたを癒してあげたい」と思う男性はいる。そういう男性の中には、単に「女を抱きたい」などという不謹慎な目的ではなく、本当にその女性のことを考えている人も決して少なくないと思う。しかし、男女を逆にすると、名乗り出てくる女性はまずいない。hebomeganeさんの「ヘボメガネ一進一退」より。こちらは男性。

実はpal-9999さんが僕のために彼女を募集してくれたのはこれが初めてではなく、今回で2回目になるんだけど、恥を忍んで言えば、最初のあれから半年近く経った今も、未だ誰からも僕と交際を考えていらっしゃる方からのメールは来ていない。

このような男女の違いは、当然といえば当然のことだけど、とても残酷だと思う。非コミュ、非モテと呼ばれるタイプの「男性」にとっては特にそうだ。

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2007年11月 8日 (木)

★男もフレグランスを付けてみては?

フレグランスとは、香水やオーデコロン、石けんなど香りのするもの一般を指す名称らしい。どうやら、女性に対して一定の効果があるようだ。Yahoo!ニュースより

「フレグランスをつけている男性は好きですか?」の問いに対し、10.4%が「とても好き」、63.8%が「まあ好き」と回答。合計で4人中3人にあたる74.2%が「好き」と考えていることが分かった。「どんな場所やシチュエーションで男性のフレグランスの香りに引かれますか?」の問いに対する答えは、1位が「路上ですれ違った時」で68.7%。続いて「通学・通勤の乗り物の中」(49.3%)、「学校、職場」(45.5%)だった。同研究所は「女性が香りに引かれるのはさりげない一瞬であることが分かる。そこが勝負の分かれ目」と分析している。

 また、「ふとした瞬間に男性からフレグランスの香りがして思わずドキッとしてしまうことがあるますか?」の質問に、14.6%が「よくある」、52.7%が「たまにある」と回答。「彼氏以外の男性のフレグランスの香りに引かれたことは?」の問いには、19.4%が「よくある」、48.9%が「たまにある」と答えた。さらに「フレグランスや香りがきっかけで相手の男性に好意を抱いたことは?」と問いに対しても、「YES」と回答した人が27.8%いた。

調査対象は16歳から29歳までの309人。記事でも分析しているが、万能薬ではないにしても多少は意識してみるのもいい。男性のフレグランスによって、女性が嫌いな男性を好きになることはないだろうが、今まで意識していなかった男性を意識するようになったり、好きな男性をもっと好きになったりするきっかけにはなるんじゃないかな。

ちなみに、自分はどうかと考えてみたら、嫌いではない女性からいい香りが漂ってくれば、少し好意を持つかな。嫌いな女性のフレグランスは、勘弁して欲しい。また、知らない女性のフレグランスは臭いだけ。どれだけ美人でもね。

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2007年11月 2日 (金)

★「私」は私だけのものではない

「内田樹の研究室」の「礼について」から。

「もういない人」の不在と「まだいない人」の不在をともに欠如として感知する人々が「家族」を構成する。それが解体しつつある。

「もういない人」とは先祖など死者のこと。「まだいない人」とはこれから生まれてくる子供、そしてこれから隣に座るはずの配偶者のことだろう。死者に頭を垂れ、家族を期待する。これから生きていくのは、あるいはこれまで生きてきたのは「私」だけでない。「私」は、もう死んでしまった者から、これから生まれてくる者へと連なる歴史の中にいる存在である。

もしそんな視点を失って、「私」だけの幸せを追い求める人たちが多数を占めるようになれば、人間の在り方は決定的に変質するだろう。それは、ある種の「進化」だけど、その「進化」の持つ意味や影響を考えないまま、あるいは「進化」したことを知らないままでいるのは、とても危険だと思う。

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2006年4月11日 (火)

★女性のツンデレは、男性を選ぶための知恵ではないか

ちょっとした思いつきだが…。ツンデレについて、ご存じない方はこちらからどうぞ。また、ツンデレの解釈が若干普通からずれているかもしれないが、そこはご容赦いただきたい。

他人から見ると、絶対に男性に甘えたりしないタイプに見えるのに、実際に恋愛関係になって、男性によってじっくりと心を解きほぐされると、甘えてきたりする。見方によっては、これが「ツン」→「デレ」の移行だと考えることも可能だ。

なぜこのような変化が起こるのか。女性は、男性の言動によって心を汚されやすい。変な男と付き合った女には、その刻印がはっきりと付いてしまう。また、女性は男性を選ばねばならないから、最初から「デレ」でいることはできない。「ツン」であることによって、男性をふるいにかけ、それでも近づいてくる男性とのみ付き合いたい。だから、最初は「ツン」でないといけない。

しかし、男性が誠実に接して、女性の気持ちを和らげて、安心させることができたら、もう女性は「ツン」である必要はない。そもそも女性は、愛されることによって満たされた気持ちになることが多いため、「ツン」でいるよりは、安心して「デレ」でいたい。だから、関係が安定すれば、「デレ」になるのだ。

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2006年1月29日 (日)

★サンマリエの「恋愛診断テスト」は時代遅れ?

サンマリエの「恋愛診断テスト」の質問の一部に、時代遅れのものが混じっているようだ。ネタ元は、出会いの雑学さん。

50.使い捨てカメラをよく使う。
52.ビデオを見る時よく早送りする。
54.テレカ以外のプリペイドカードを所有。

これらの質問からわかることは、この質問シートが作られたのは少なくとも数年前だということだ。今なら、50は質問として成り立たない(使い捨てカメラと普通のカメラを比べているが、今ではみんなデジカメ)か、あるいは「デジタル一眼レフを持っている(あるいは欲しい)」くらいに変更すべき。52はビデオではなく、DVDソフトとかDVDレコーダーとかぐらいが適当。54は、テレカ以外のプリペイドカードの普及率はかなり高くなっている(SuicaやICOCAを持っている人はひどく多い)ので、何かの判断に使うのは不適当だろう。

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2006年1月11日 (水)

★“人生の午後”で惑う

数年前に夫を亡くした50代の女性が、中学校の同窓会で会った幹事の男性と仲良くなった。男性の方は既婚で、当然ながら、自由に会うわけにはいかない。数ヶ月に一度会えるくらいだが、男性の妻に対する嫉妬が抑えられない。どうすればいいか、という質問

どう答えるかは、人によって異なるだろう。回答者の落合恵子は、「本当にわたしを愛しているなら、妻とは別れてからわたしのところに来てください。それが筋というものです。そして、彼女を苦しめた罪を終生分かち合っていきましょう」というのが一つの答えだと言う。しかし、他にも答えはある。男性のずるさを許容できるなら、自分の罪の意識や嫉妬の気持ちを一人で抱えていくことができるなら、そのままでもいいのではないか、とも言う。

落合恵子は書いていないが、もちろん「そんな関係は止めてしまう」というのも答えの一つだろう。どれがいいかは、まさにケースバイケース。何とも言えない。ただ、何かを見ないようにする、というのは最悪の選択肢だろう。たとえば、「自分が男性と一緒になれれば、男性の妻はどうでもよい」と考えるのは、人として拙いだろう。あるいは逆に、「一緒になれなくても、私は大丈夫」と強がるのも、この場合はよくない。

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2006年1月10日 (火)

★「かまやつ女」って?

かまやつひろしのような、もっさりしたファッションの若い女性が増えているらしい。ルーズフィットのだぶだぶの服を着て、パンツは色落ちしたジーンズなど、手間がかからず、気を遣う必要もないものを履き、とにかく楽な格好をしている20歳前後の女性が、原宿や下北沢で増えている。彼女らは、まったく男性を意識せず、収入や美貌を手に入れようともしない。競争する前から、「私には無理」と諦めているのだ。

ソースはlivedoor ニュースも出ている(というか、こちらがネタ元)。

個人的には、「かまやつ女」より「ユニクロ女」の方が身近なんだけどね。

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2006年1月 8日 (日)

★映画「二人日和」

少し前になるが、岩波ホールで上映中の「二人日和」を見てきた。派手さはまったくないが、深い味わいのある映画だった。

概要は次の通り。岩波ホールのページから。

古都・京都で、伝統ある神祇装束司(じんぎしょうぞくし)を務める黒由玄と妻・千恵。45年もの長い年月をともに生きてきた彼らの静かな日々は、妻が不治の病ALSに冒されたときから少しずつ変わってゆく。

千恵が入院して、黒由が自宅で一人片付けものをしているとき、千恵の古い日記を見つけて、黒由と初めて会ったときのことを読むシーンで涙が出てきた。もう過ぎ去ってしまって、二度と帰ってこない過去。それが、好ましいものであればあるほど、喪失感は大きい。


****

スタッフは、監督が野村惠一。主演に栗塚旭と藤村志保。池坊美佳や、きたやまおさむ、市田ひろみも友情出演している。ALSについての描写はかなり甘いが、まあ映画で表現するなら、あんなところか。

それにしても、あんなに平均年齢の高い人たちの中で映画を見たのは初めてだ(苦笑)。

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2005年5月 9日 (月)

★どんな男が嫌われるか

どんな男が嫌われるかについて、出会い系サイトのメルモアの調査では、こうなっている。ソースはこちら

 不潔・・・・・・・・・・・86.0%
 体臭がきつい・・・・・・・75.7%
 優しくない・・・・・・・・45.0%
 自分勝手・・・・・・・・・61.7%
 ルックスがよくない・・・・19.0%
 髪型が変・・・・・・・・・17.7%
 センスが悪い・・・・・・・32.3%
 ケチ・・・・・・・・・・・51.7%
 背が小さいなど身体的欠点・18.3%
 人の話を聞かない・・・・・61.7%
 仕事ができない・・・・・・38.0%
 会話がつまらない・・・・・59.3%
 自慢話が多い・・・・・・・58.7%
 向上心がない・・・・・・・47.7%
 その他・・・・・・・・・・ 1.7%

「不潔」「体臭がきつい」というのは、生理的な嫌悪感を催させるものなので、治療の難しい病気でない限り、何とかしたいものだ。そこをクリアすれば、あとは会話の持って行き方、関わり方次第だろう。

「自分勝手」「人の話を聞かない」といった評価をもらってしまわないように、女性の話はできるだけ聞くこと。的確に相づちを打ち、アドバイスではなく、共感を与えるようにすること。女性に“キミのことはいつも見てるよ”というメッセージを送ること。いつでもかまってあげられること。これだけできれば、たいていの女性は悪い気がしない。うまくいけば、何人かに一人とはお付き合いまではいけるはずだ(結婚までいけるかは、また別だけどね)。

さらに、「会話がつまらない」といった、能力の欠如は努力でカバー。「ケチ」「自慢話が多い」「向上心がない」といった、心がけで何とかなる問題も努力でカバー。

これで、嫌われる条件はなくすことができるだろう。あとは、数をこなすことかな。どうしてもうまくいかないなら、独特の心の問題(といっても、大きな問題かどうかはわからないけれど)を抱えている可能性もあるので、よく考えてみる必要もあるかもしれないが。

ちなみに、このサイトのタイトルは「20代女性の恋愛観」。20代女性、ね。30代も後半の私にはもうあまり縁がないなあ。

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2005年3月28日 (月)

★2番目に好きな人と付き合ってみる

再び市川拓司「そのときは彼によろしく」から。智史は、中学生の時から15年間、自分が花梨のことを好きだったをはっきりと自覚する。

15年、彼女(引用者注:花梨)のことを思い続けてきた。2番目に好きな女性と付き合ってみたりもした。でも、慣れないことをすべきじゃないと、ぼくは思い知らされた。ぼくには複雑な恋は似合わない。と言うかできそうもない。15年なんて、あっという間だ。おそらく45歳のぼくは今日の日のことを思い起こし、きっとそう感じるはずだ。そして、60歳のぼくも、同じように45歳の自分を振り返ってそう思うだろう。ならば、できるだけシンプルに行きたい。あれもこれもって手を出している暇はない。要はそれは容量の問題なのだ。ぼくの引き出しは彼女で手一杯。それだけのこと。(340ページ)

1番目に好きな人がコロコロ入れ替わったり、1番目に好きな人がいなかったりする人----つまり、特に好きでもないのに異性と付き合う人----はシアワセだ。あるいは、1番目に好きな人と大手を振って付き合うことができて、一緒にいられる人はシアワセだ。

しかし、智史のように、1番目に好きな人が心の中の奥深く、もっとも大切なところを完全に占領してしまっているのに、別の人と付き合わねばならない状況に陥る人もいるだろう。そのときの空しさとどうしようもなさは、ほろ苦く心にしみいってくる。天を仰いでも、下を向いてため息をついても、いかんともしがたい。

智史の場合は、智史が花梨のことを愛しているのと同じように、花梨も智史のことを愛していることを知っているから、そしていずれ眠りに就く花梨が目覚めて、自分のところに戻ってくると信じられるから、待つことが楽しくなるのだろう。自分が愛している人が、自分よりも大切なものを持っているとき、そしていくら待っていたとしても自分のもとに戻ってこないとわかっているとき、待つことは、自分が生きている限り続く拷問となる。

花梨がもし智史ではなく、佑司のことが好きだったとしたら、佑司も花梨のことが好きで、佑司と花梨が手を取り合って智史のもとから去っていくようなことになったとしたら----この小説の筋からは、まったく外れてしまうが----、いったい智史はどう考えるだろうか。それでも花梨のことを思い出すのが楽しいだろうか。いや、きっとそんなことはあるまい。

いったいどうしたものやら・・・。

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2004年10月19日 (火)

★中学生以下のセックス禁止条例、議論は白熱

「おいおい、まだやってるのかよ」と言いたいところだが、中学生以下のセックスを条例で禁止するかどうかについて、東京都の設置した委員会では議論が白熱したらしい。MSN-Mainichi INTERACTIVEの記事から。

 六本木で産婦人科診療所を開業する傍ら、10代の少女の相談を受けている赤枝恒雄医師は「10代のHIV(エイズウイルス)感染者が今年は昨年を上回った。年齢の歯止めがあれば子どもにも、子どもを対象にする大人にも効果がある」と条例制定に賛意を表した。

この赤枝医師の主張、言いたいことはよくわかるが、10代のHIV感染者を減らしたいなら、高校生もセックス禁止にした方がいいんじゃないか?10代のHIV感染者が中学生ばかりだというなら話は別だけど・・。実際に可能かどうかは知らないけどね。

竹花豊副知事は「交通に例えるなら、ルールやリスクを知らない歩行者が道路に飛び出している現状。中学生かどうかは別にして、その年齢までは性行為は駄目だという対応をとるべきじゃないか」と語った。

だから、現状で「ルールやリスク」が何かをきちんと教えているのか、ということね。「セックス禁止!」と言う前に、もう少し性教育を充実させたらどうかなと思うが、理屈で考えるより、お節介の方が数段好きな日本人だから難しいとは思うけど。

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2004年10月17日 (日)

★「泥棒猫」って女性の蔑称?(疑問)

ドラマで、妻が夫の不倫相手に向かって「この泥棒猫!」と罵っている場面をたまに見ますが、これって本当にリアルな罵り方なんでしょうか? 泥棒猫をオンラインの辞書でひいてみると、「他人の家へ忍び込んで食物を盗む猫」(goo辞書)だそうですが、ここ30年くらい(笑)そんな猫を見たことがないので、ぴんと来ません。

それから、「泥棒猫」がなぜ女性にのみ適用されるのか、それもよくわかりません。ご存じの方っていらっしゃいますか?

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2004年10月15日 (金)

★二極化する若者の性行動

20歳未満の男性の初交年齢は、その上の年代と比べて、特に上がっていないとのことだ。乱交に走る若者がいる一方で、女性との関係を上手に持てない男性も増えているらしい。MSN-Mainichi INTERACTIVEから。

後者(引用者注:女性との関係が上手に持てない男性たち)については、性行動という意味での不安材料は差し当たってないわけですから、どうしても学ぶチャンスが疎かにならざるを得ません。もっと困るのは、いつまで経っても、異性との関わりが持てないまま時が過ぎ、やがて「結婚できない男たち」になるのではないかということです。

今日は、ちょっと大上段に振りかぶってみる。

日本の社会全体が衰退していく方向に確実に進んでいるなあと感じるのは、親が子供を虐待して殺してしまったニュースを聞いたとき、若者が集団で自殺したニュースを聞いたとき、そして異性を求めず、趣味に没入する若者たち(特に男性)のニュースを聞いたときだ。

借金苦などの原因で親が自殺・失踪したり、親子心中を図ったりするのはまだわかる。親子心中は、親が子供を自分の所有物だと見ているところからくる、大きな間違いだと思っているけれど、日本では昔からよくあったので、ここではさておく。しかし、子供を殺して、親がこれからのうのうと生きていこうとする、その心根に私は問題があると感じる。マクロ的に見るなら、これから社会の根底を支えていく子供が、ただでさえ少ないのに、よけいに“減らされて”しまっている。これでは、日本は衰退していくだろう。

それから、若者の集団自殺。死ぬのは、ほとんどが20代から30代前半くらいまでの若者だ。40代、50代で、友人でもないのに一緒に自殺したという事件はほとんど聞かない。本来は、何らかの形で生産・消費に関わっていくはずの青年たちが、自ら人生の舞台から退場していく。これも、日本を衰退させる原因となるはずだ。

さらに、オタク文化が盛り上がり、子孫を残すことからますます遠ざかる男女が増える。どちらが原因なのかはわからないが、しかし、広く受け入れられ、長く残る文化とは異なる“文化”(サブカルチャーと言っていいのか?)が発達するのは、日本の“中心の部分”が“痩せて”きている証拠だと思う。

ということで、オクテな若い男性は、風俗に行ってでも異性との関わりを体験すべし!・・・と言ってみるテスト。(笑)

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2004年10月 6日 (水)

★愛することは執着することではない

仏教では、「愛する人に会ってはならない。愛せない人に会ってもならない。愛する人に会えないのは苦しみであり、愛せない人を見るのもまた苦しみである」と説いているらしい(白取春彦「仏教「超」入門」133ページ)。

ただ、「愛する人に会ってはならない」というのは、白取によると、決して「人を愛するな」という意味ではなく、「相手に執着するな」「相手を自分のものだと思うな」ということらしい。

では、どうするのか。心を配るのである。丁重に接する。相手に親切にする。ベタベタするだけが愛ではない。爽やかな愛もある。相手を自分のものと思いこむことのない開放的な愛。ちゃんと尊敬を含んだ愛。(138ページ)

「でも、一緒にいないと辛いよ」 そう、その通りである。「爽やかな愛」なんて、私には絶対ムリ・・・と思っていた。

しかし、好きな人だけでなく、いろいろなものに執着しないことにすると、一緒にいなくても愛していることになることが実感できる。ふっと霧が晴れるようにいろんなものが見えてくるような気がする。もしかすると、ここが(私の)いろいろな苦しみからの脱出口なのかな、とも思う。


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2004年10月 2日 (土)

★イチローにみるスタイルの重要さ

今日、シアトル・マリナーズのイチロー選手が、メジャーリーグ1シーズン安打記録を塗り替えた。ちょうど仕事をしながらテレビを見ていて思ったのだが、スタイルを持つ男はやはりカッコイイ。

この“スタイル”というのは、体格のことではない。仕事のやり方や、プライベートでの遊び方だ。人まねではなく、流行に流されず、自分の“スタイル”で自分の求めるところに向かっていくのを見るのは、対象が同性であれ、心ときめくものである。

他にもサッカーの中田英寿や中村俊輔。砲丸投げの室伏広治。いずれも、仕事=スポーツのプレーでのスタイルが魅力だ。あのようなプレースタイルを自分の仕事にも取り入れられないものか、ときどき無駄なあがきをしてみたくなる。

生きる上でそんな“スタイル”があれば、きっともう少し楽なんだろうなと思うが、残念ながら、人生の大問題ほど“スタイル”では解決できないようだ。“スタイル”を身につけたいと思いつつも、そこからどんどん遠ざかっていく自分は、逆の意味での“スタイル”=“スタイル”を身につけないという“スタイル”を身につけつつあるのか、と考えてみる。

(追記)
キヌガサに登録しましたが、ここ数日ひどく忙しくて、いきなり放置しています・・・。→何とか復活(汗)

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2004年9月 1日 (水)

★生き方を“リセット”すること

どうもブログのタイトル「恋愛放談」とは違う方向に向かっている今日この頃…。
ま、それはともかく、今日は最近よく読んでいる仏教関連の本から。飛騨千光寺の住職大下大圓の「いい加減に生きる スピリチュアル仏教のすすめ33」より。

リセットとは、本当は生き方を変えることなどではなく、新しい行動や考え方でもって心の働きを切り替えてしまうことなのです。気持ちを楽にするための、自分だけのコツを見つけることです。人間はなかなか変わらないものですが、心の受け止め方は、いくらでも変えることができるのです。(224ページ)

恋愛に悩んだら仏教を学べ・・・などと、極端なことは言わないが、どうしたらいいのか、自分でもわからなくなってきたら、あるいは恋愛に行き詰まって苦しくなってきたら、“リセット”してみたらどうか、ということだ。“リセット”といっても、今の仕事や家庭や考え方をすべて捨ててしまうのではない。今、持っているものに対する見方を変えることだ(だから、“リセット”という言葉は本当はふさわしくない)。

いつも思っていることだけど、(特に自分が好意を抱いている)女性には幸せな気持ちでいて欲しい。女性が幸せな気持ちでいることによって、いろいろなことがうまくいくような気がするからだ。特に子どものこと。これは、女性(母親)がキーになるはずだからね。

「宗教なんて・・・」と思う人がいるかもしれない。私もそう思っていたし、今も無条件に“信じる”なんてまっぴらだと思っている。ただ、無条件に“信じる”のではなくて、別の何らかの形で宗教と触れあうことで、ラクに生きられたらいいんじゃない?・・って私は思うワケだけど、どうだろう?

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2004年8月30日 (月)

★「妬み」を感じない人間であるべきか

久々の更新は、コミック「バビロンまで何マイル?」(川原泉)から。幼なじみの高校生、月森仁希(♀)と真船友理(♂)は、ふとしたことからルネッサンスのイタリアにタイムスリップするが、その前に友理は、同級生とのケンカの中で仁希のことをこのように説明する。

「月森仁希」とゆー人間は 妬み嫉みといった 負の情念の場所から 最も遠く離れたところに 住んでいる奴だからね(73ページ)

川原泉の作品には、妬みや憎しみといった「負の情念」を持たないのが素晴らしいことのように描かれることが多い。確かに、妬みや憎しみを抱いた人間をことさらに“よい”ものだとする必然性はないが、「負の情念」を持たないことがそのまま素晴らしいことなのだろうか。

もちろん、「負の情念」に自覚もせずに押し流され、あるいは押し流されたことを無条件によしとする人間には、好感は持てない。しかし、「負の情念」に突き動かされる自分の弱さを自覚した上で、そういう自分を常に省みることのできる人間には、私はとても好感を持てる。

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2004年6月 3日 (木)

★いつまで「子育て中」?

再び酒井順子「少子」から。

「子育てしてると、とても服とか髪なんかにかまってられないのよー」と言っています。私も、子育て中の友人たちの暮らしを見ていると、とてもおしゃれどころではないということはよくわかる。子育て中の友達は、「セックスとかもぜーんぜん、したくないのよね」とも言っていました。(77ページ)

子育て中の女性に性欲がないのは、“子どもが小さいうちは、次の子どもを作るより今の子どもをきちんと育てなさい”という自然の摂理かもしれないが、それはさておく。

問題としたいのは「子育て」という言葉の使われ方。少し前に、中学校時代にほんの一時期付き合っていた女の子の、双子の姉と20数年ぶりにメールをやりとりする機会があって、「妹は、どこそこで子育て中です」という言い回しを聞いたが、その言葉の中の「子育て」が何かの仕事のように聞こえて、変な気持ちがしたのだ。

もちろん、「子育て」を仕事ととらえることが悪いとは思わないが、「薬剤師として薬局に勤めています」とか「スーパーでレジを打っています」とかの代わりに、「今は子育て中です」と言われても、なんだかぴんと来ない。もしかしたら、ぴんと来ない方がよくないのかもしれないが、それならそれで理由を突き止めておきたいものだ。

もう1つわからないことがある。「子育て中」とは、子どもがいくつからいくつまでの状態を言うのだろうか。「子育てを終えて」という言い回しもよく聞くが、これとて子どもがいくつになれば「子育て」を終えることができるのか、はっきりしていないのではないかな?子どもが成人式を迎えれば、さすがに「子育ては終わった」と言えるかもしれないが、まさかそれまで「子育て中」とは普通言わないだろう。となると、子どもが中学校を卒業するまでか?いや、最近のお受験ブームで中高一貫教育の学校に入っていれば、中学校の卒業はエポックメーキングな出来事とは言えまいし・・・。

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2004年5月17日 (月)

★「なぜ結婚しないの?」「なぜ子どもを作らないの?」は呪いの言葉

元ネタが行方不明なので、とりあえず紹介だけ。

呪いとは、反論しづらい言葉によって行われる。「オマエは、明日死ぬ」などというわかりやすい呪いをかけられたとする。「そんなバカな。へへん」などと笑っていられる人は、呪いにかけられていない。しかし、「そんなことはないはず。でも、なんだか不安」という人は、まんまと呪いにかかっているのだ。

呪いの言葉は反論を許さず、また、反論できない人に呪いはかかる。たとえば「なぜ結婚しないの?」という言葉に「結婚してくれる人がいなくてさ(苦笑)」と言える人はまだいいが、“候補はいるが、なぜか決められない”という状態の人は言い返せない。さらに、強い呪詛の言葉になり得るのが「なぜ子供を作らないの?」という言葉。もちろん、「私たちは夫婦二人で生きていくことにした」と言えれば問題はない。問題は、夫婦が子どもを望んでいるのに妊娠しないときだ。「なぜ子供を作らないの?」という言葉に、「できないのよ!」と言い返せればいいが、ちゃんと週2回セックスしているのに妊娠しない、しかも、夫婦とも体には問題ない…というとき、強い呪いが夫婦にかかってしまう。

呪いをかけられた人のできる対処方法として思いつくのは、呪いをかけた人を徹底的に排除することくらい。それが実の親であろうと、親友であろうと、だ。

有効な対処方法があれば、是非コメントいただきたい。

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2004年5月12日 (水)

★皇室に何が…

雅子さんが、今日5/12から渡欧する皇太子に同行しないことについて、皇太子は誰かに対してかなり不満を持っているらしい。ソースはこちら

雅子さまの体調については「この10年で自分を皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが、そのことで疲れ切っているように見えます」と述べた。さらに「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と続けた。

雅子さんが最近公務から遠ざかっているのは育児ノイローゼかなと思っていたが、子どもと離れていないところから考えて、育児ノイローゼではないらしい。理由として、皇太子は、宮内庁が雅子さんのキャリアを生かそうとしなかったことや、人格に対する攻撃を挙げている。この発言、実は、めちゃくちゃ問題発言ではないか?

雅子さんはそのまま行けば、外交官としてマスコミに名前が登場するはずだった人。今の皇后とは違う。それを無理やり皇太子が皇室に引っ張ったわけで、もしかすると日本国の大きな損失だったかも、と思わないでもないが…。

それにしても、皇后と雅子さんを比較するに、時代の違いが感じられるなあ。

(追記)
どうやら、心ない関係者が「秋篠宮家に第三子(当然、男子だろう)を」と言ったらしい。こりゃ、雅子さんもへこむわな。ソースはこちら

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2004年5月 7日 (金)

★正しいことを言う前に

ゆうきゆう「もうひと押しができない!」から。余談だけど、先日、この人のことを初めて知った。紛らわしいぞ・・・って、悪いのは私か(苦笑)。

あなたの周りによく「私って言いたいことははっきり言っちゃうタイプだから」という人がいませんか?その人たちは、「自分は正しいことを言ってるんだから、怒るあなたがおかしい」というように感じていたりします。(131ページ)

ゆうきゆう氏は「言いたいことははっきり言っちゃう」人の問題点、改めるべき点として、そういうキツイことを言う前に、感情の“貯金”が必要だと結論づける。この本に書いてあるとおり、確かにいろいろと世話になっている人の言葉であれば、多少耳に痛い言葉であっても、何とか受け入れることができるが、赤の他人であれば「何だ、この野郎!」となってしまう。だから、忠告するなら、感情の“貯金”を作ってからにしようというのは、正論だ。これは、上司・部下の関係でも、友達同士でも、もちろん恋人同士でも同じようなものだと思う。

それはそれでいいとして、私は「正しいことを言ったのだから、黙って従うべきだ」という前提を持つ人に対して、あまりいい感情を持てない。正しければ、それでいいのだろうか。正しければ、他に何も考える必要はないのだろうか。また、その“正しさ”を検証する必要はないのだろうか。

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★アジアに広がる援交

援助交際が日本以外の各地に広がっているらしい。ソースは共同通信の「『援交』拡大を警告」という記事から(掲載期間終了のため、URLは省略ご容赦)。

【バンコク共同】児童買春や子供の人身売買の根絶を目指す非政府組織(NGO)「国際ECPAT(エクパット)」(本部バンコク)は26日、世界の子供の性的虐待状況をめぐる報告書を発表。日本で社会問題化している「援助交際」が「中国、韓国、タイなどアジア各地に広まっている」と指摘、根絶に向けた社会の取り組みが急務と訴えた。英文の報告書の「ENJO KOSAI現象」と題する章で指摘。

「そりゃ大変だ」と思うが、日本の援交というのは女子高校生や女子中学生を中心とした若い女性が、遊ぶお金ほしさや、「仲間はずれになりたくない」「なんだか寂しい」「毎日が空しい」などという理由(直接の理由にはなっていないけど)で売春するものだ。それが、経済的に日本とはあまり差がない韓国はともかく、中国やタイに広がっているというのは、どういうことだろうか。やっぱりお金なのだろうか。

ちょっと思ったのだけど、「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」で規制される「児童」の定義は現在「18歳未満」。これを「15歳未満」くらいに引き下げると、大半の援交は“なくなる”。この法律で規制されない買売春は、個人が自分の意思で行う限り、違法じゃなかったはずだから(違っていたらゴメンナサイ)、問題の大半が消えたように“見える”。出来の悪い「コロンブスの卵」っぽい発想で恐縮だが、この法律の趣旨は条文にその程度の変更を加えたところで、損なわれないのではないかな?

ちなみに、「援助交際」の定義で、もっといいのがあればヨロシク。

(追記)
5/10現在、まだ掲載期限の切れていないサイトがあったので、紹介しておく。こちら

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2004年4月21日 (水)

★「Deep Love」はやっぱり駄作か?

「ARTIFACT」さんで紹介されていた、「Deep Love」評価記事には、大笑いしてしまった。やっぱり、この程度の読み方をしておくのが普通かもね。

たとえば、このあたり。

『本当に誰とも付き合わなかったの?』「そうよ、恋をしたのはあの人だけよ!」『今でも好きなの?』「好きよ!愛してるわ!」

おばあちゃんは激しい口調で言った。その言葉は一点の曇りもなかった。そして、写真を見るおばあちゃんの目は、まるで17歳の少女のようにアユには見えた。(50ページ)

『 』が主人公のアユ(17歳)のセリフだが、「 」は「おばあちゃん」のセリフ。若くとも60代以上の女性が、数十年前に亡くした夫のことを「好きよ!愛してるわ!」と語るだろうか。もちろん、そのような話し方をする女性だと読み手が納得できれば、これは小説だから、全然かまわないのだが…。

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2004年4月19日 (月)

★ネット不倫が流行る上海

上海では、不倫が原因で離婚する夫婦が増加しているらしい。不倫相手を探す場所は、主にネットだとか。ソースはこちら

離婚問題を専門に扱う賈明軍・弁護士は、なぜ結婚して間もない夫婦が離婚をするのかについて、結婚して間もない夫婦は結婚生活の開始後に、これまで見えなかった相手の欠点を知り、その若さから、相手の欠点を受け入れられないケースが多いと説明。そうした夫婦間の不和から不倫、離婚に至るというパターンが主流になっていると話す。

一時期、日本でも「成田離婚」が流行ったが、理由は同じ。付き合っているときに見えなかった相手の欠点が、24時間一緒にいることによって見えてきただけ。いずこも同じだよね。

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2004年4月14日 (水)

★「世界の中心で、愛をさけぶ」が200万部突破

何度か取り上げた、片山恭一の「世界の中心で、愛をさけぶ」が200万部突破だとか。ソースはこちら

作家片山恭一さんの小説「世界の中心で、愛をさけぶ」(小学館)の発行部数が13日、201万部に達した。国内作家の小説で200万部を超えたのは、村上春樹さんの「ノルウェイの森」(講談社、1987年)以来。「世界の―」は2001年4月発売。突然重い病に侵された女性とその恋人の切ない恋愛を描く。5月8日には同名の映画も公開される。

偶然だが、村上春樹「ノルウェイの森」も一度ここで取り上げた。いずれも恋愛小説で、主人公の男性が恋する少女は死んでしまうところが共通だが、違う点もいろいろあると思う。

まずは、長さ。「世界の中心で」を文庫本にしたら、1冊の薄めの文庫になるが、「ノルウェイの森」は上下巻に別れている。次に、わかりやすさ。「世界の中心で」は高校生なら十分読めるし、中学生でもストーリーは追える。それに対して、「ノルウェイの森」は、たとえば「羊をめぐる冒険」ほどではないにしても、重層的な物語だ。中学生でストーリーを追える者は少ないだろうし、高校生でも面倒な小説に読み慣れていないと無理。

こういうところに、大衆(私を含む)の求めるものの移り変わりの一端が現れているのかもしれない。

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2004年4月11日 (日)

★それが、いい

市川拓司「いま、会いにゆきます」から。先日の記事にあまりにも似ているので、ちょっと驚いてしまった個所を今日は紹介しよう。

神経の病気になって、普通の生活が送れなくなった大学生の「ぼく」は、当時、時々会っていた澪に別れを切り出そうとする。

できれば、きみが自分から離れていってくれるのが望ましい。たとえば、ぼく以外の誰かを好きになるとか。そうすれば、きみはきっと遠からずぼくのことを忘れていってしまうだろう。

それが、いい。(192ページ)

「ぼく」は、自分の病気のことを澪に知らせず、冷たい男だと思わせるために演技する。澪が自分のことを見限ってくれれば、澪は傷つかない。そう判断してのことだ。

私だったら、全部洗いざらい話した上で、「ぼくのために、きみを苦しませたり悩ませたりさせたくないから」と言って、絶対に引かないかな。

でも、「私はそれでもいい」と言い張られたら、なかなか苦しい。「きみの苦しむ姿をぼくが見たくないから」というのは利己的(本当に好きなら、相手が苦しんでいる姿から目をそらしてはいけないと思う)だし、「それは、きみのためによくない」というのは傲慢(自分のために何がよいかは、大人なら自分で判断するから)だし…。

やっぱり、これが正解なのかな、と思う。

それにしても、この小説、冒頭の50ページくらい、何を言いたいのか全然わからなかった。途中で読むのを止めようと思ったくらいだ。物語の中程から、とにかくページを繰る速度を上げて、何とかおもしろくなってきたけれど。ちなみに、以前紹介した「Deep Love 第一部 アユの物語」は、小説としては、これよりずっとデキが悪い。とはいえ、売れるためのツボは外していないと思うけどね(実際売れてるし)。

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2004年4月 8日 (木)

★他人の不在がもたらす痛み

村上春樹「回転木馬のデッドヒート」から。「僕」は、学生時代のある夜、雑魚寝しているときにたまたま抱き合ってしまった女性の消息を、彼女と結婚している男性から聞くことになった。

「死というのは極めて特殊な出来事です。僕は時々人の生は、かなり大きな部分を他の誰かの死のもたらすエネルギーによって、あるいは欠損感と言ってもいいんですが、そういうものによって規定されているんじゃないかと感じることがあります。でも彼女はそういったことに対してあまりにも無防備でした。要するに(中略)彼女は自分のことだけを真剣に考えることに慣れきっていたんです。それのおかげで、他人の不在がもたらす痛みというものを、彼女は想像することさえできなくなっていたんです」(97ページ)

私のように、年がら年中、過去のことを振り返っているのもよくないが、たまには後ろ向きになってみるのもいいと思う。

少し話がずれるが、「失ったら代わりのものを得ればよい」という考え方、つまりは「友達とケンカしたら、別の友達を見つけよう」「彼女に振られたら、別の彼女を探せばよい」「結婚に失敗したら、次の相手を見つければいい」「子どもが死んだから、もう1人作ろう」(最後のはさすがに不謹慎だが)という考え方は前向きで、それなりに有効なのだが、そればかりだと何か見落とすことになるような気がしてならない。

「他人の不在がもたらす痛み」に、重要な何かをかぎ取るのは間違っているのかなあ。

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2004年3月25日 (木)

コミットメントとデタッチメント

コミットメントとは“関わること”、デタッチメントとは“関わらないこと”。村上春樹は、学生紛争の頃はコミットメントが若者の意識では主流であったが、その後、デタッチメントに主流が移ったと言う。

結局、あのころは、僕らの世代にとってはコミットメントの時代だったんですよね。それから一瞬のうちにデタッチメントに行ってしまうのですね。それは僕だけではなくて、僕の世代に通ずることなのではないかという気はするんです。(「村上春樹、河合隼雄に会いに行く」、20ページ)

それを受けて、河合隼雄は今も若者の意識では「デタッチメントの気分は非常に強い」と言う。「コミットする奴は、極端に言えば、バカだと、そのぐらいの感じがある」とのこと。確かに、そうだよな。

この考え方でいけば、恋愛って、究極のコミットメントだと思う。勝手に破棄できない婚姻契約を相手と結んで、自分の所有物と相手の所有物の境界をなくし、素っ裸になった自分を相手に見せるのだからね。

※コミットメントについて、もう少し知りたい人は↓こちらへ
なるイズム

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2004年3月22日 (月)

なくしたもの、過ぎ去ったことを想う

片山恭一「世界の中心で、愛をさけぶ」から。アキが死んで10年が経ち、「僕」は別の女性を伴って故郷に帰ってくる。そして、アキと一緒に時間を過ごした母校の中学校を訪れる。

耳のすぐそばで、彼女はしゃべっていた。懐かしい、あのはにかむような声で。やさしい心はどこへ行ったのだろう。アキという一人の人間の中に包み込まれていた美しいもの、善いもの、繊細なものは、どこへ行ってしまったのだろう。(中略)あるいはいつか、ここへ戻ってくることがあるのだろうか。

この後、肌身離さず持っていたアキのお骨を、「僕」はまいてしまう。アキは、世界の両端に--初めと終わりに--いるのだと感じて、お骨を持っている必要はないと感じたのだ。

なくしたものや過ぎ去ったことを思い返すとき、人間は自分の無力さを思い知る。カネも名声も権力も、何の役にも立たない。むしろ、一生ここから目を遠ざけていられるなら、そうした方がいいと想うくらいだ。感じる力があれば、よけいに悲しくなるからね。

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2004年3月15日 (月)

「悲しいセックスレス」その後

またまた毎日新聞のサイトから。以前、ここで紹介した、セックスレスに悩む既婚女性(28歳)が、その後について投稿している。

「あなたが変わらないなら、離婚も辞さない」という前振りで話し合いを始めた。「俺(おれ)は君を愛しているから、別れたくない」と開口一番、彼は言った。「私も愛している。けれどセックスがこのまま無いのなら、新しい人生を歩みたい」と言った。彼はしばらく黙っていたが、「すぐに治すのは無理だけど、手をつないだり、髪を撫(な)でたり腕枕することはできる。君がそんなに苦しんでいるなら俺は努力するよ」。

子どもを実家に預けて、その晩、手をつないで抱き合って眠り、「翌朝、目が覚めたとき、横の彼を久しぶりにたまらなくいとおしく思えた」らしい。

ここから先が大変だろう。この女性はセックスレスが原因と思われるうつ病にしばらく悩んでいたらしいが、これで改善されるだろうと自分で分析している。きっと、治療が必要なのは、この女性ではなく、夫の方なのだろうが、何にせよ解決の糸口が見つかったことは悪くない。

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2004年3月 6日 (土)

援交少女からの質問(続き)

じゃあ、「幸せになれよ」という言葉が効力を持つ場面を考えてみよう。

「あなたと会うことは二度ととないかもしれないけれど、私どこに行ってもあなたと直子のこといつまでも覚えているわよ」 僕はレイコさんの目を見た。彼女は泣いていた。僕は思わず彼女に口づけした。周りを通り過ぎる人たちは僕たちのことをじろじろと見ていたけれど、僕にはもうそんなことは気にならなかった。われわれは生きていたし、生き続けることだけを考えなくてはならなかったのだ。「幸せになりなさい」と別れ際にレイコさんは僕に言った。(村上春樹『ノルウェイの森(下)』261ページ 講談社文庫)

ここだけ抜いてきても、読んだことのない人にはまったく意味がないが…。

直子の死を二人で分かち合って耐えてきた「僕」とレイコさんが、直子の“葬式”のあと、セックスをして、そして互いに幸せに生きようとすることを確認しあった場面、と私は読んだ。

ここで、「僕」もレイコさんも「これからも生きていくこと」を前提条件として共有している。そして、「どのように生きていくか」という話になったところで、「幸せに生きていく」という選択肢が現れてくるのだ。決して、「幸せになるために生きる」という話にはならない。

…この話、わかっている人には言うまでもないことで、わかっていない人には「アホか」と言われるだけだろうなあ。

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2004年3月 5日 (金)

援交少女からの質問

実際に援交する少女と接点はないので、あしからず。『Deep Love 第一部アユの物語』(スターツ出版)から。

中学3年のとき、進路面接で担任に言われた。「アユ、将来のこと、しっかり考えなきゃダメだぞ!」『…』「アユは、何がしたいんだ?」『別に…』「何できちんと答えられないんだ」『タルイ…』「おまえ、何のために生きているんだ!」『…』「聞いているのか?」『じゃあ、あんたは何のために生きているの?』 担任は一瞬たじろいだが、すぐに言った。「幸せになるためじゃないか」『…』 アユは内心思った。生きる意味なんて誰も知らない。(25ページ)

ここで出てくる担任よりも、アユの方が哲学的な問いを発していることは間違いない。残念ながら、アユには問いを考え続ける“思考の体力”がないので、答えを求めることができず、ここから先には絶対にたどり着かないが。

それにしても、担任の「幸せになるために生きる」というのは、論理矛盾も甚だしい。「幸せである」というのは、「生きている」の1つの状態である。正しくは、「生きているならば、幸せでいたい」である。アユが問うているのは「生きているならば」という前提条件のところである。もしアユが「楽して幸せに生きていたい」と語るならば、「そんなにうまく行くはずがないぞ」と、豊富な事例を並べ立てて脅すといい(効果があるかどうかは別問題)。しかし、「生きているならば」という前提条件を疑う人間に対して、「幸せになれよ」というのはほとんど意味がない。

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2004年2月28日 (土)

文通もまたよし、か

またまた毎日新聞のサイトから。78歳女性の投稿。

戦時中軍需工場で働いていたとき、知らない差出人の手紙が届いた。小学校同級の男性で、水俣に学徒動員で来ているが、故郷恋しさで私を思い出したと書いてあった。顔は浮かばなかったが、喜んで文通が始まった。

これが縁で結婚した夫とは、57年連れ添っているとか。文通で縁が始まり、それが結婚にまで結びつくことは、今ではほとんどないだろう。たまに、手紙をもらっても、やりとりが続くでもない。両方が携帯電話を持てば、とたんにメールになってしまう。

そういう私も仕事で日常的にメールを使っている関係もあり、個人的な連絡もほぼすべてメールだ。年賀状くらいしか、きちんと郵便を出すことはない。風情がないと言われればそれまでだが、手書きの手紙を強制されるのも辛い。以前、結婚相談所で知り合った女性が、手紙の好きな人で、便せん何枚にもわたって手紙を書いてくれるのだが、その返事に手書きを暗に要求されたのには参った。

日常のこと、季節のことなどを少し書き連ね、相手のことにも注意を払っている様子がわかるやりとりが、数日に一度の割合で往復する。しかも、あまり書きすぎず、数分で読めてしまうような分量にする…こんなメールなら、むしろ手紙に近いのではないか、と思ってしまうが、みなさんはいかがだろう。

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2004年2月27日 (金)

現実恋愛>商売恋愛・幻想恋愛?

もう一度、「AERA」'04.3.1 No.9「負け犬男だって遠吠え」から。作家の岡田斗司夫はこういう。

30代男性の恋愛は、「風俗などの商売恋愛」「ギャルゲーなどにはまる幻想恋愛」「現実恋愛」の3種類。「現実恋愛」が割高で楽しくないって気が付いている男は、実際の彼女がいることなんかちっともうらやましくないんです。(21ページ)

さすが、言うことが違う。が、「現実恋愛が割高で楽しくなって気が付い」たことが理由で「現実恋愛」から「商売恋愛」や「幻想恋愛」に走っているのではなく、「現実恋愛」市場から締め出された男が「商売恋愛」や「幻想恋愛」に走って、それなりの満足を得ている、というのが真実に近いような気がするが、どうなのだろうか。

それにしても、「現実恋愛」よりも“割安”で“楽しい”「商売恋愛」や「幻想恋愛」というのは、いったいどういうものだろうか。まったく想像できないわけでもないが、実際にどうなのかはちょっと想像がつかない。

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2004年2月25日 (水)

「意見が違う=正しく理解していない」?

昔、付き合っていた女性の中に、大切な場面で違う意見を言うと必ず怒る人がいた。私にデリカシーが足らなかったのだと思うが、しかし、いつも同じ場面で怒られるのを実はずっと不思議に思っていた。

“異なる意見を持つ”という事実が、そのまま“正しく理解していないことの証左である”と理解されていたのかもしれない、と先日ふと気づいた。それなら話は分かる。

じゃあ、どうすればよかったのか。暇なときに考えているのだが、まだ答えは出てこない。

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2004年2月24日 (火)

“普通”が好き!

風邪で熱が出たからだろうか、考え方の一部が変質してしまっている(苦笑)。何を言いたいかと言うと、“普通”が好きになってしまったのである。

たとえば、電話でこちらが話しているとする。最後まできちんと聞くのではなく、ある程度まで聞いて8割程度理解できたかなと思ったところで、向こうが話し始めるのである。残りの2割が重要でないとは思わないが、それでもだいたいのコミュニケーションはできているし、残りの2割を一生懸命説明しなければならないシチュエーションでもない。

重要なのは、8割程度の相互理解で満足できているということ。細かく理解するのではなく、“ごく普通に”理解する。なぜか、そのことに惹かれてしまうのだ。それがいい、とは思わないまま。

10割聞いてくれる女性にも出会ったことはある。きっと彼女は“普通以上”だったのだと思う。それはそれでいい。ただ、それを“条件”として提出したとたんに、何か大切なものが見えなくなってしまうような気がしてしまう。なぜだろう??

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2004年1月26日 (月)

★不器用な生き方をする男

「僕の中の壊れていない部分」(白石一文)から。

僕は、誰に対しても不確実であさはかな感情を押しつけぬよう配慮してきたし、また、誰からもそういった錯覚と油断を誘う感情の押しつけを受けぬよう注意してきた。しかし、そうした僕の態度を保つために何より守り通してきたのは、たとえどんなときどんな状況でも、自分の利害を優先しない、人間相手に取引はしない、という鉄則だった。(148ページ)

「そんな理想論だけで、生きていけるかよ」。そう、その通りだと思う。「自分の利害を優先」し、「人間相手に取引」をしなければ、多くの仕事はなかなか成り立たない。

男女関係も同じである。「不確実であさはかな感情」を押しつけて、また押しつけられて、成り立っていることも多い。本当に「自分の利害を優先しない」まま、夫婦であれ、恋人であれ、あるいは親子であれ、一緒にやっていけるのかどうかは疑わしい。

恋愛に引きつけて考えるなら、こんなに純粋すぎる人間は、きっと異性の目にはあまり魅力的に写らないのだろう。生きているだけ、そこにいるだけで、何かを成しているような。しかし、何ものでもないような何かを。

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2004年1月16日 (金)

★「僕のなかの壊れていない部分」読了

「自分のことが書いてある」と思って小説を読むのは、思春期の頃と相場が決まっているが、「僕のなかの壊れていない部分」(白石一文:光文社刊)を読んで、久々にそう思った。

私が常々考えていることが、いくつも書いてあるのだ。どこがどうなのかは、また追々ここで書くことにする。

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2003年12月31日 (水)

★理想の女性

ベートーベンが作った唯一の歌劇「フィデリオ」の主人公レオノーレは、無実の罪で投獄されている夫フロレスタンを助けるため、男装してフィデリオと名乗り、フロレスタンがとらわれている牢獄の番人として働き、夫を救い出す機会をうかがう。

いろいろと苦労した後、最後にレオノーレはフロレスタンを助け出し、大団円となるが、ベートーベンはこのレオノーレに理想の女性像を投影したらしい。

そこまで男勝りの活躍をしてもらいたいとは思わない(活躍していて、私が陰で支える役目でもいいけれど)が、何かに突き進む力のある女性には惹かれる。

もちろん、そうでない女性に魅力がないわけではないと思うけれど、自分が猪突猛進するタイプではないので、何かに突き進んでいく人のことに配慮してあげるのもいいかな、と思っている。

…ただ、こんなタイプは、結婚相談所のように“勝負”が一瞬で決まってしまう場面では、今ひとつ“競争力”に欠けるようだ。


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