★人生には時間が必要だ

「他人より10年遅れている」と、昔、父は言っていた。家庭の事情で中学を卒業してすぐに働き始めたがために、仕事のやり方がすべて自己流になってしまい、しなくてもいい失敗を繰り返したからのようだ。その父の息子である私もまた、別の理由で他人より10年も社会に出るのが遅れた。

親子そろって、大きな回り道をしていたわけだが、仕事を引退するまでに稼ぐカネの金額や成し遂げることができた仕事の量という点では、こういう回り道は当然マイナスにしかならない。しかし、視点を変えれば、どうだろうか。池田晶子・大峯顯「君自身に還れ」。240ページ。

池田 真理であるならばそれは必ず現れるはずだと、先生仰るわけですね。
大峯 そうです。
池田 そうですか。十年すればわかるかもしれない
大峯 そうそう。そんなに早くわかってもらっちゃ困る(笑)。なま覚りになるから。
池田 とても覚ってませんから。いえ、方角はわかってるんですけれどね。
大峯 だけどね、やっぱりこれには時間がいるんですね。
池田 私はそのために人生があるんだと思っています。
大峯 人生の時間の意味っていうのはそういうことではないかと思う。今すぐには決められないんですよ。

真理、すなわち「ほんとうのこと」を知るためには時間が必要だと言う。まったくそうだと思う。回り道した10年の間に、明らかに「ほんとうのこと」には近づいた気がする。池田のように「方角はわかって」いたとも言えないが、しかし、回り道する前と比べると、「ほんとうのこと」が少しだけわかった。今も、ほんの少しずつだけど、「ほんとうのこと」に歩み寄りつつあるように感じている。とはいえ、「ほんとうのこと」をこの手でつかむことはできない。近づくことができるだけ。どうせこの手につかむことができないなら、いつ死んでも同じ。だから、早死にしないかとおそれることはない。

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★デレツン女子は結婚できない

増田(はてなダイアリーのAnonymousDiary)に、こんな記事があった。結婚したくてもできない女性を観察してみたら、「デレツン(普段デレっとしてるが、突然ツンとなる)」という特徴があったとか。

最初は普通の女の子っぽい楽しい会話なのだが、仕事や人生観などの話になると、途端にツンモードに変わる。変に“達観”してるのだ。冷めてるとも言える。「私は何でも知っている」という感じで話がスタートしてしまう。男から何かを学ぼうという感じはなく、基本的に対等であること前提の話になる。

この日記の筆者のように、たくさんの女性にアタックしたわけではないので、実感としてわかるわけじゃないが、少ない経験に照らし合わせれば、それはそうかと思う。

昔、結婚相談所で出会った士業の女性としばらく付き合ったことがあったが、ものすごい勢いで「私たちは対等よ」という雰囲気が感じられたのを思い出した。彼女は英語はペラペラだし、私より収入は多いし、大企業に勤めていたし、世間的な物差しで言えば、「成功者」だった。結婚せずに40歳も間近になっていたことを除けば。あ、容姿は平均を下回っていたと思う。でも、そんなに気になるほどではなかったな。

自分に足らないものはない。そう思っているような感じだった。仕事は充実しているし、プライベートでも母親やきょうだいたちとうまくやってるし、それなりに楽しんでいた。人生に対する考え方も安定していた。すでに亡くなっていた父親との関係は、父親が生活力のない人だったため、よくはなかったが、まあそれは済んだことである。

かたや私は逆だ。やりがいのある仕事ではあるけれど、決して楽ではないし、将来は楽観できない。生活を楽しむ余裕はない。収入は平均より少し上だが、会社は小さい。今の仕事に就くまでも、いろいろ寄り道をしてきた。決して「成功者」などではない。しかも、40前まで未婚である。

まあ、私のことはいい。仕事や人生観の話になると、彼女の方は本当に順調に進んでいるように感じた。問題はほとんどない。いや、あったのかもしれないが、一切聞けなかった。完璧だった。きっと、私から学ぶことなどなかったに違いない。必要なのは生活のパートナーであって、人生を一緒に考えていくパートナーじゃなかったのだろう。

私は悩んだ。彼女からは、「会いたい」という言葉も態度も感じ取れなかった。一緒にいて楽しいと感じる気持ちはあったようだが、それは言葉にはならなかった。一緒にいるときに「デレ」に変わる瞬間は、最後まで見られなかった。私は、自分の手駒をいくつも見せた。今に至る欠点やコンプレックスを話した。彼女からは、そんな話は一切聞けなかった。別れた直接の原因は、結婚後の仕事について私が展望を持てなかった(彼女と結婚すると、とある理由から、私は会社を辞めねばならなかった)ことに対して、彼女から詰問されたからだが、私にしてみれば、彼女と結婚したいという気持ちは、そのかなり前から失われていた。最後に「ツン」が来たわけだ。

その後、付き合うところまで行きそうな女性が何人かいた。三十代後半になって結婚相手に巡り会っていない、その女性たちに共通なのは、仕事や人生観について、あるきっちりした考え方を持っていて、そこは絶対に譲りそうにないことだ(中には、怠惰であることを自分の根本的性質として「きっちり」認識していた人もいたが)。

きっちりした考え方を持つこと自体はいいと思う。しかし、男から何も学びそうになくて、むしろ男に説教しそうなタイプの女性と、深く関わりたいとは私は全然思わない。説教する女性が嫌いなのではなく、私と一緒に何かを作ろう、私から何かを学び取って自分のものとしようとして欲しい。そんな考え方はできないなら、私はあなたには必要ないだろう…そう思ってしまうのだ。私は、学び合う相手と一生を過ごしたいのだ(だから、学ぶことがなさそうな女性もまた、遠ざけざるを得ない)。

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★クロス(CROSS)のボールペン

探し物をしていて、最近使っていないカバンの中を調べていたら、ボールペンが数本出てきた。その中に、1本見覚えのあるペンがあった。もう何年も前のことになるが、米国の高級筆記具メーカーA.T.CROSS社のボールペンで、当時付き合っていた女性からもらったものだ。

クロームメッキのもので、ネットで買えば4000円弱。プレゼントとしてはそれほど高価ではないが、ボールペンとしてはかなり高価な方に入る。だが、それをプレゼントしてくれた彼女は、大手企業の出世ルートに乗っており、私よりもずっと収入は多かった。彼女にとっては、それほど高くない買い物だったはずだ。

書き味はとてもよくて、引っかからない。残念ながら、私は筆圧が強い方なので、書き味の良さが生かせないし、4色ボールペンを常用しているため、黒だけのボールペンは使うシチュエーションが限られてしまう。なので、カバンに放り込んだままになっていた。もとは鈍い銀色に光っていたのだが、昨晩取り出してみると、全体的に少し黒ずんでいた。さびの一種だろうが、書き味は変わっていない。

もう一度、この人生を生き直すとしたら…いや、止めておこう。「後悔しても何もかも遅い」と書きかけたが、そんなことは言うまでもない。カードをめくったあとで、「隣のカードをめくればよかった」と考えるのは、プレイヤーとして最悪だ。このボールペンが手元にあることも、悪くはない思い出の一つとして心の中にしまっておくことにしよう。

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★「女はみんなバカだ」

またまた酒井冬雪「理系のための恋愛論」から。

「女の人はぜいたくすぎるというか、男につきつける要求が多すぎる。顔、経済力、話のうまさ、かわいさ、おもしろさがほしいといいながら、ドタンバで平気でそれをひるがえしたりするから、こっちはもうどうしていいかわからない。ひとりでいるほうが楽にもなってきますよ」というAくんでした。思い当たるフシがイロイロあり、胸が痛みます(後略)

「女はみんなバカだ」と、昔、父が言っていた。女性からすれば、とても受け入れがたい、偏見に満ちたディスクールであることは間違いない。父にとって、女性とは母のことであり、幼少期にいじめられた叔母であり、父の店の売り物をぞんざいに扱うDQN中年女のことだから、そう思いたくなるのは仕方ないにしても。

ただ、「顔、経済力、話のうまさ、かわいさ、おもしろさがほしいといいながら、ドタンバで平気でそれをひるがえしたりする」女性とつきあっていれば、私もそれに似たようなことを感じるかもしれない。自分のことをあまりにも知らなさすぎる。自分の幸せがどこからくるのか、無自覚すぎる。そんな女性を目の前にしたとき、「バカ」という言葉が頭に浮かぶかもしれない。

しかし、そんな女性を切る“刀”は、私自身をも無傷のままにはおかない。あのひとはオバサンくさいから、この話題に乗ってこなかったから、男を試すような視線を送ってきたから、子持ちなのに身持ちが変に堅いから、仕事の見通しについてうるさかったから、私の友人のことを気にいらなかったから、仕事についての考え方が偏っていそうだから、バツ2だから、喫煙者だから、動物を飼っているから…それこそ無数の理由をつけて、私も女性を「論外」と切り捨ててこなかったか。

…私こそ「バカ」と呼ばれるにふさわしいのかもしれない。

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恋愛には積極性が必須?

私自身の数少ない恋愛成功経験(お付き合いにまで発展した例を、今はそう呼んでみよう)を振り返ってみて思うのだが、恋愛を成功させるには、何かを飛び越えるように振る舞う瞬間が必要なのかもしれない。

何かのはずみでメールを定期的に交換するようになった女性と、今度は会ってみたいと思ったら、「お会いしてみませんか」の一言は必要だし、二人で話していて、いい雰囲気になったら、手を握ってみないとわからないことがあるかもしれない。時には、急に抱き寄せて唇を奪うのもありだろう(もちろん、勘違いしていると大変なことになるが)。そんな瞬間なしに女性と付き合える男性もいるのかもしれないが、私はそうではないようだ。

言い換えよう。「普通に考えれば、ここはこうした方がいい」という理性的な判断の及ばない部分で、何かが動き始めるときがある。「女性の気持ちをくんで、一つずつステップを踏むべきだ」というのは常識的判断だが、いつも適用すべき鉄則ではない。

だから、「ここで、以前こんな人と出会ったから、次もこんな人と出会えるだろう」「ここはこういう場所だから、このような出会いしかない」などという予測のもとに行動するのは、結局のところ、恋愛成功という結果にはつながらないことが多いのではないか。

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★「喪男」の定義

2ちゃんねる用語で、モテない男のことを「喪男」と言う。「喪男」には、単に「モテない」ではなく、細かい定義があるようだ。livedoorニュースから。

「人により差はありますが、大半の喪男が納得するであろう最低限の条件を挙げると、(1)童貞(素人童貞を含む)、(2)恋人いない歴=年齢、(3)女性から告白などの恋愛を示唆する好意を受けた経験が無い、(4)ある程度の年齢以上(多くのボーダーは20歳)」(喪男道管理人 覚悟さん)

 さらに先鋭的なものになると、「(5)恋愛に対して絶望し完全に恋愛を放棄、(6)過去に女性からイジメを受けた事があり、それをトラウマとして抱えている」(同)、という条件を必須とする人もいるのだとか。

ふむふむ。数年前の自分を振り返ってみると、(3)はともかく、他はだいたいあたっていたぞ(笑)。(3)にしたって、10代~20代で女性から告白されたのは、14歳のときが最後だったような気がするし(笑)。もしかすると、ここで「喪男」の定義から外れるのか?

それはともかく、(5)が半ば当てはまっていて、喪男一直線だった私だが、ある時、こんな私を救ってくれる人が現れ、今までの人生が嘘のような…とまでは、さすがに行かないが(笑)、喪男の定義からは完全に外れるオトコになった。

…だが、結婚までの道のりは遠そうだ。そのうち、喪男もどきに逆戻りするかもしれない。

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★そんなに答えが大切ですか?

昔、30代になったばかりの頃、数人の既婚女性と継続的にメールで込み入った話をする機会があった。先に断っておくが、彼女らと恋に落ちたわけではない。人生や仕事や社会や、もろもろのことについて、さまざまな意見交換をした。

彼女らは、当時、私よりも年上であったし、社会的にも地位があったり、そうでなくともそれなりの評価をもらえたりで、私の方が教えを請う立場にいた。

彼女らは、私がいろいろなことに迷っていると、「自分の好きなように生きるのがいい」とはっきりと言ってくれた。大変明快な答えだった。理路整然としており、出発点となる部分に感情が含まれていたとしても、それはすでに解決済みであった。答えに揺らぎはなかった。その頃の私は、それに引き込まれた。考え方も彼女らも、大変魅力的だった。

しかし、今はそうは思わない。複雑さを排除したところにあるのは、浅薄で普遍性のない答えでしかない。私はそれで満足できない。だから、もっと考える。大切なのは、答えではなく、考えることそのものだ。

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★彼女のためにすべてを捨てられる?

そういえば、昔々、私のことを好きだと言ってくれた女性に「私のためにすべてを捨ててくれる?」と尋ねられたことがある。今よりもずっと愚かで、しかし元気があった私は「もちろん」と笑顔で答えた(ように記憶している)。

もし今、そのように聞かれたら、どう答えるだろうか。きっと「すべてを捨てるのではなく、いくつかを諦めて、いくつかは持ったまま、キミを得たい」というのが妥当なところだろうか。恋愛至上主義の人からは不純だと非難されるかもしれない。あるいは、女性からは「そういうときは嘘になるってわかっていても、ウンと言ってあげるのが優しい男なんじゃない?」と言われるかもしれない。

確かにそうだろう。私だって、「キミのためなら、すべてを捨てるよ」と言ってあげたい。「私のためにすべてを捨ててくれる?」なんて質問をする女性なら、不可能とわかっていても「すべてを捨てるよ」と答えた方が喜ぶに決まっているからだ。

しかし、それを約束だと考えて実行に移そうとした瞬間に、私は挫折する。なぜなら、多くの女性は、すべてを捨てた=何も持っていない男に魅力を感じ続けるほど夢想家ではないからだ。おそらく、「私のためにすべてを捨てて欲しい」と言った女性は、男性が財産や係累や仕事を捨ててもいいが、経済力やかっこよさや将来の展望といったものは捨ててはいけないと思っているのだろう(かなり矛盾しているが)。とてつもなく都合のいい話だが、しかしこれが現実だ。

「お金のあるなしなんて、気にしないわよ」と言いつつ、仕事のできない男を嫌う女は多い。もちろん、お金のあるなしと仕事のできるできないは、100%の相関関係にあるわけではない。しかし、仕事のできない男が低収入である確率は高い。

一番いいのは、この質問には適当に「もちろんだよ」などと答えておき、そう答えたことをすぐに忘れてしまうこと。それが、2人にとって一番幸せになれる道だ。

・・・うむ、私は幸せになれないようだ(苦笑)。

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★恋に関する勘違い

昔、まだ20代だった頃、自分を好きになってくれる女がいれば、何があっても自分は生きていけるかもしれないと思っていた。

自分を好きになってくれる女が現れて、何年も経ってから、やっとそれが幻想でしかないことに気付いた。

何年か経って気付いたというのは、遅いのだろうか。早いのだろうか。


※左のプチ掲示板ですが、現在、先方のサーバに接続しにくくなっているため、一時的に表示しない設定にしてあります。

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★2番目に好きな人と付き合ってみる

再び市川拓司「そのときは彼によろしく」から。智史は、中学生の時から15年間、自分が花梨のことを好きだったをはっきりと自覚する。

15年、彼女(引用者注:花梨)のことを思い続けてきた。2番目に好きな女性と付き合ってみたりもした。でも、慣れないことをすべきじゃないと、ぼくは思い知らされた。ぼくには複雑な恋は似合わない。と言うかできそうもない。15年なんて、あっという間だ。おそらく45歳のぼくは今日の日のことを思い起こし、きっとそう感じるはずだ。そして、60歳のぼくも、同じように45歳の自分を振り返ってそう思うだろう。ならば、できるだけシンプルに行きたい。あれもこれもって手を出している暇はない。要はそれは容量の問題なのだ。ぼくの引き出しは彼女で手一杯。それだけのこと。(340ページ)

1番目に好きな人がコロコロ入れ替わったり、1番目に好きな人がいなかったりする人----つまり、特に好きでもないのに異性と付き合う人----はシアワセだ。あるいは、1番目に好きな人と大手を振って付き合うことができて、一緒にいられる人はシアワセだ。

しかし、智史のように、1番目に好きな人が心の中の奥深く、もっとも大切なところを完全に占領してしまっているのに、別の人と付き合わねばならない状況に陥る人もいるだろう。そのときの空しさとどうしようもなさは、ほろ苦く心にしみいってくる。天を仰いでも、下を向いてため息をついても、いかんともしがたい。

智史の場合は、智史が花梨のことを愛しているのと同じように、花梨も智史のことを愛していることを知っているから、そしていずれ眠りに就く花梨が目覚めて、自分のところに戻ってくると信じられるから、待つことが楽しくなるのだろう。自分が愛している人が、自分よりも大切なものを持っているとき、そしていくら待っていたとしても自分のもとに戻ってこないとわかっているとき、待つことは、自分が生きている限り続く拷問となる。

花梨がもし智史ではなく、佑司のことが好きだったとしたら、佑司も花梨のことが好きで、佑司と花梨が手を取り合って智史のもとから去っていくようなことになったとしたら----この小説の筋からは、まったく外れてしまうが----、いったい智史はどう考えるだろうか。それでも花梨のことを思い出すのが楽しいだろうか。いや、きっとそんなことはあるまい。

いったいどうしたものやら・・・。

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