「結婚したい」という願望を実現させたいなら、変化することと複雑化することを恐れてはならない。「結婚したい」という願望を満たすと同時に、変化や複雑化を避けることはまず無理だと思われる。河合隼雄「こころと人生」から。中学生の息子が不登校になり、困っていた中年夫婦の話。
お父さんは、いつもお酒を飲んで遅く帰ってこられるんですね。あるときやっぱり遅く帰ってきたら、いつもは開いているのに鍵がもう閉まっていました。腹が立つ者ですから、玄関の戸をどんどん叩いて「こら、開けろ」とかやっていたら、学校へ行っていない息子が起きてきてぱっと開けた。そして、お父さんが入ってきたときに、息子も腹が立っているから「お父さんはいいな。好きな酒を飲んで、遅く帰ってきて」と嫌味を言ったんです。
すると、お父さんがカァーッと怒りだして「何を言ってるか。オレが酒を飲んだからって、好きな酒だとどうして分かるんだ。オレが今日どうしてお酒を飲んできたか、分かるのか」と言うわけですね。(211ページ)
講演のテープを起こしたものみたいで読みやすいのだが、かなり冗長なので、引用はここまでにしておく。この後、あまりの剣幕に、寝ていた奥さんまで起きてきて話を聞くことになる。ご主人の言うことには・・・
今日の酒は大変苦い酒であった。本来は自分がもらうべき賞(ご主人は研究職らしい)を、いろんな事情で同僚がもらうことになってしまった。腹の中では「コンチクショウ!」と思っているが、実際にはそんなことも言えず、その同僚にもにこやかにしていなければならない。オレが酒を飲んで遅くなったからといって、好きな酒を飲みたかったからだと、なぜオマエたちに分かるんだ。
・・・ということらしい。奥さんの方はそれを聞いて、「あなたがそういうことを言ってくれたから、私もすごくよく分かる」(212ページ)と言った。ご主人の方は、それに対して、いつも仕事の話をしようとしても、聞いてはくれないじゃないかと文句を言う。さらに、奥さんは一番大切な話を遮るのはご主人の方だと譲らない。そこで、まあお互い様みたいだから、これからはもっと話をしようという結論に至る。
息子の方は、河合によれば、このやりとりをずっと続けている間に、いつの間にか学校に行き始めたということである。河合が書きたかったことは、「こころと人生」をお読みいただくとして、私がここから考えたことは、もともと他人であった人と結婚して家族を構成し、さらに子供まで作って、まったくのイチから人間を育てるとなると、変化と複雑化を避けていては、マトモなことは何もできないのではないか、ということだ。
「業績を上げた人に賞をあげない会社が悪い。すぐに辞めるべきだ」とか、「嫉妬のような感情を抱く方が悪い。性格を直すべきだ」とか、そんな“正しいけれど、遵守するのが極端に難しいルール”を他人に向かって堂々と言い放つ人もいるが、そういう“正義の人”は今はさておく。脱線するが、こういう“正義の人”ほど情報操作にだまされやすく、残虐非道なことをしてしまいやすい。私みたいな歴史オンチが言うまでもなく、歴史が証明している。
若いときはいい。「○○くんが好き!」とか「××ちゃんと一緒にいると、心が安らぐ」とか、そんな感情で結婚まで突き進んでしまえる。自分が結婚によって失うものをはっきり意識することなく、猪突猛進できるからだ。しかし、30代になり、運や努力で築き上げてきたものがはっきりと見えてくると、もう「これは失いたくない」というものがどんどん増えてくる。具体的に言うなら、住居や生活パターンなど環境が変化することで、今まで通りに仕事や交際や趣味ができなくなることはある。パートナーがからむ人間関係は「嫌いな人とは付き合わない」という原則を、最初から完全に守り通せるほど甘くない。
まれに、そうしようとする人がいるようだが、そういう人を世間ではオトナとは呼ばない。もちろん、いろいろあった末に切り捨てるという判断はアリだが。
何しろ複雑になるのだ。結婚前の自分のままでいる、なんてことは、パートナーの理解や協力などが必須で、よほどの好条件が重ならないと無理だ。
子供が不登校になり、それがきっかけで夫婦の対話が始まる。本当の感情を隠すことなく、ぶつかっていかざるを得ない家庭という場。いろいろあって当然で、変化や複雑化によって、悲しいことやイヤなこともあるだろう。しかし、それらを解決していく過程で、より深い理解に至る。それがきっと夫婦であり、家族なのだろう。
しかし、心配しなくていい。一人暮らしでは得られないもの、想像さえできないものが、パートナーとの生活にはある。変化や複雑化を受け入れていく覚悟さえあれば、持っているモノを少し手放す覚悟さえあれば、やっていける。独身の私が言うのも変だけどね。(笑)
最近のコメント