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★「ボクが楽しければ、いいんだ」で本当にいいの?

映画は見ない。本も読まない。どこに遊びに行くでもない。休みの日はカウチでごろごろ寝ている。仕事以外には、まったく楽しみがなさそうな夫に、「何もしなくて、何が楽しいの?」と聞いた37歳の女性には、こんな返事が返ってきた。毎日新聞のサイトから。

「ねえ、行きたいとことか、やりたいこととかないの?」

「別にないなぁ」

「平日は仕事して、休みの日は寝てばかりいて、楽しい?」

「うん、まぁ」

ふう、と思って「つまらない人生ね」とこぼした。すると夫が言った。

「勝手に人の人生をつまらなくするなよ。おれは十分楽しいんだ。家があるし、おまえがいるし、じょりい(愛犬)がいて、健康だし」

はっとした。確かに、人の価値観を自分のものさしなんかでは測れない。人に自分の幸せ度を評されるなんて、よけいなお世話というものだ。他人がどう思おうと、本人が幸せと思えばそれでいい。

家があって、妻がいて、愛犬がいて、健康なら楽しい。それ自体では、批判されるべきものではない。本人が幸せを感じる方法は、まさに人それぞれであり、他人が干渉すべきではない。

しかし、だ。自分が幸せであれば、他の人はどうでもいいのか。仕事しているか、寝ているか、そのどちらかの自分が、妻にどういう影響を与えているかを考えないでよいのか。

家があって、妻がいて、愛犬がいて、健康なら、身近な人に“与える喜び”も味わって欲しいものだ。

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コメント

>家があって、妻がいて、愛犬がいて、健康なら、身近な人に“与える喜び”も味わって欲しいものだ。
そこまで望んでいいものなのですか?本気で戸惑い。
私自身はクリエイティブ系な仕事を持っていて、本気で100%仕事に生きたら、女であっても、その旦那様が言う状態になると思います。
クリエイティブなら、そう言う事を許されるのでしょうか?
定年間際世代の離婚予備軍奥様もそうですが、「仕事を一生懸命」を軽んじている気がします。子供が親に対して時に過多に愛情を求めるのは仕方が無い事だし、そう言う時、親は仕事を捨ててでも愛情(=時間)を与える必要があるかと思います。だって、子供は未熟なのだから。でも、男であれ女であれ、連れ合いは成人した大人ですよね?腑に落ちません。その旦那様の言葉や想いには、十分に’身近な人に与える’モノがあるように感じます。

投稿: Gazyumal | 2005年10月24日 (月) 午後 10時44分

>>Gazyumalさん
コメントありがとうございました。
いくつか私が考えるべきポイントをご指摘いただいたと思っています。

確認させていただきたいのですが、Gazyumalさんは「仕事に一生懸命」である男性(女性でもいいわけですが)に対しては、「愛情を求めすぎるべきではない」というお考えでしょうか。もちろん、どこまで求めれば「求めすぎ」になるか、夫婦によって、そして場面によって異なるものなのでしょうけれど。

ちょっと脱線してしまいますが、クリエイティブな仕事に関わる人は、男女を問わず、生活がすべて仕事になりやすいですね。もしそうなれば、パートナーがその仕事に対して理解を持っていることが重要でしょう。

ポイントは、そういう状況に対して、パートナーが納得していれば、まったくそれでいいのではないか、ということです。つまり、このエントリーで取り上げた夫婦の場合、夫は満足しているが、妻は満足していない(最後に納得しているように見えますが)という状況が問題だと感じました。もし妻の方が、夫に何も求めていないのであれば、休日にごろごろして「幸せだなあ」とつぶやく夫を許せるでしょうが、そうでないと許せないかもしれません。

Gazyumalさんのお考えでは、そこで妻が何かを夫に求めるのが過剰な期待であるということだと理解しました。(間違っていたら、教えてください) 解決の糸口は「どちらが正しいのか」ではなく、「どのような関係を選び取っていくのか」ということではないかと考えています。そして、この夫婦の場合、夫が自分の幸せな気持ちを糧に、妻に何かを与えることができれば、今よりもいい関係になるのではないか、と思うわけです。

投稿: yuu | 2005年10月25日 (火) 午前 04時32分

図らずも、「どちらが正しい、正しく無い」で物事を切り捨ててしまう自分の価値判断を指摘されたようで、「あちゃー、自分、またやっているよ」と思ってしまいました(笑)
そうですね、どんな関係であれ、当人同士が幸せに感じているのであれば、問題ないわけですよね。
このケースの御夫婦の場合、夫の説明に、妻が今まで気付いていなかった価値の持ち方を開眼させれれて、当人同士(多分)幸せになったと思うのです。私は、この過程(説明し納得してもらう労苦と時間を惜しまない)にこそ、’身近な人に与える’べきモノがあるように感じます。その過程に費やす時間は、レジャーや趣味を共にするより短時間かもしれないけれど、内容の濃い時間ではないかと、うらやましく思います。
仕事に一生懸命な男性(or 女性)から、愛情を求め過ぎるべきでないか?いろいろな御夫婦があって当然かと思います。あえて自分の価値判断でバッサバッサ切ってしまいますが(笑)、愛情を『=費やした時間』と単純に考えるのなら、Yesです。今の時代、仕事に打ち込んで平均的な収入を得ようとしたら、身体も心もヘトヘトです。与えたくてもそんなに与えられません。
毎日新聞の御夫婦のケースは『愛情×費やした時間=愛情の総量』になっているように思います。費やした時間は少ないけれど、愛情の濃度は非常に濃いので、愛情の総量も多いのではないかと。こういう意味で労苦(=愛情)を惜しむ人には、私も与えるモノが足りない、と思います。
ポイントは確かに、相手がそれで納得しているかですが、そう言う形での愛情の総量を受容するシナプスの開発努力も、受け手に求めたいように思うのです。

最後になりますが、いつもインスパイアされる記事とコメントをありがとうございます。楽しみにしてますので。

投稿: Gazyumal | 2005年10月25日 (火) 午後 07時23分

>>Gazyumalさん
コメントありがとうございました。

この夫婦が、このあと幸せになっていくのか、それとも問題が表面化していくのかはわかりませんが、Gazyumalさんのお考えも一つの可能性として認めねばなりませんね。すなわち、妻の方が夫の考え方を理解し、「週末にどこかに遊びに出かけることが、必ずしも幸せにつながるわけではない」「ぼんやり過ごしていても幸せにはなれるのだ」ということに気付いたのであれば、それはそれでいいことだと思います。また、逆に、私の考えのように、妻の気持ちを満たすことを夫が怠ったために、夫婦の間に不協和音が生じてくる可能性も否定できないと思います。

Gazyumalさんのコメントを読んで、一つ新しく気付いた問題があります。この夫婦の場合、妻は「自分の考え方を変えてもいいかな」と少し思っているのに対して、夫は「自分の考え方は正しい。受け入れよ」と言っているに過ぎないところです。このような関係は、実はよくあるパターンなのかもしれませんが、お互いが「自分の考え方を変えてもいいかな」と思っていた方が、柔軟に物事や事態に適応できるでしょう。その点で、夫の態度には問題があります(これだけでは、それほど大きな問題ではありませんが…)。

それから、“説明して納得してもらう過程に意味がある”というGazyumalさんのお考えには賛成です。別のエントリーにも書きましたが、「説明して分かってもらったのではダメ。説明しないで理解してくれないと意味がない」と(何にも説明する前から)思っている人は、「ちゃんと説明して納得してもらおう」と考えている人と比べ、(男女を問わず)得られるものが少ないと思います。

愛情を表現するために、あまり時間を費やしすぎるべきではない、とのお考えのようですが、普通の仕事をして平均的な生活をしたいと思えば、現実的にはそんなに時間や労力を費やして愛情を表現していてはいけない、のかもしれません。確かに、仰るとおり、現代日本は、ゆったりとした愛情表現をすべての夫婦の間に許してくれるほど、時の流れの遅い場所ではないですからね。そのために、不慮の事故などがあったときには「もう少し気持ちを表現すればよかった」と思わざるを得ず、さらに「もしかすると、そもそもこんな働き方を強要する現代日本社会そのものが間違っているのではないか」などと、解決策のでない問いにとらわれてしまいがちなのかもしれません。

投稿: yuu | 2005年10月26日 (水) 午前 02時20分

>妻は「自分の考え方を変えてもいいかな」と少し思っているのに対して、夫は「自分の考え方は正しい。受け入れよ」と言っているに過ぎないところです。

今後、妻のピクニックへの誘いに、夫が単純に拒否をするようであれば、yuuさんの懸念はあたっている事になりますね。男性のyuuさんとしては、やはり夫に目が厳しくなるのですね(笑)。妻の提案を夫が受け入れ、楽しんでいてくれていればいいですね。

一点だけ訂正させて下さい。

>愛情を表現するために、あまり時間を費やしすぎるべきではない、とのお考えのようですが、普通の仕事をして平均的な生活をしたいと思えば、現実的にはそんなに時間や労力を費やして愛情を表現していてはいけない、

費やし過ぎる’べきではない’と考えているわけではありません。『愛情×費やした時間=愛情の総量』と考えているので、愛情(の工夫・労力)はそれ程でもなく、時間を長く取る事で、愛情の総量を多くする御夫婦もいると思うのです。自営業で接する時間が長い御夫婦は、こう言うパターンが多いかな、と思います。逆に、互いに違うキャリアをもっている共働き夫婦であったりすると、時間は必然的に短い中、愛情(の工夫・労力)を濃くすることで、愛情の総量を増やす必要があるかと。私は後者の生活パターンなので、時間が無い分、労力を厳しく要求していると思います。愛情表現は、求めていますよ〜(笑)。

『愛情=費やしてくれた時間』と考えたために、自分も交際している相手も身動きが取れなくなった自分の過去への反省が含まれているので、断定口調が強かったら、御容赦。yuuさんとのやり取りで、いろんな幸せがあると改めて実感出来ましたし、自分が望んでいる愛情の形を自覚出来たのも収穫でした。yuuさんの態度は、男性の心構えとして女性から歓迎されていると思います。

投稿: Gazyumal | 2005年10月27日 (木) 午前 08時43分

>>Gazyumalさん
コメントありがとうございました。

『愛情(の密度)×一緒に費やした時間=愛情の総量』という考え方は、「一緒にいる時間が短かったら、一緒にいる意味がない」と考えるカップル・夫婦にとって、役に立つ考え方だと思いますね。“一緒にいる時間が短いからこそ、濃厚な心の関係を求める”という考え方には、一理あると思います。

ただ、私にもわからないのですが、『愛情(の密度)×一緒に費やした時間=愛情の総量』という考え方はいつでも有効なのでしょうか。あるいは、その等式で考えるとこぼれてしまうものがないのでしょうか。たとえば、「愛情(の密度)」は薄くて、あまり相手には感心がないのだけど、とりあえず一緒にいる時間は長いから、お互いが味わっている「愛情の総量」は多いのだ、としてもいいのでしょうか。もっと端的に言えば、「あまり愛情(の密度)を持っていない相手が、とりあえず長い時間一緒にいてくれるだけで、女性は満足できるのでしょうか。Gazyumalさんは、逆のケースのようなので、想像していただくしかないのでしょうが…。

あるいは、「愛情(の密度)」がある一定レベル以上であれば、あとは「一緒に費やした時間」が多ければ多いほど、「愛情の総量」は増えていくのかもしれませんね。逆に、ある一定レベル以下であれば、もういくら長い時間一緒にいてもダメだ…となるのかな。

答えのでない疑問のような気もしてきました。(笑)

投稿: yuu | 2005年10月29日 (土) 午後 04時42分

そうですねぇ。こうなってくると、結婚相手次第と言うか、各論に入ってしまいますねぇ(苦笑)。

>「愛情(の密度)」は薄くて、あまり相手には感心がないのだけど、とりあえず一緒にいる時間は長いから、お互いが味わっている「愛情の総量」は多いのだ、としてもいいのでしょうか。

私は実を言うと、こう言う形の愛情も、嫌なわけではありません。私が知る実例だと、自営業と言う特殊性のせいか、まったりと盟友みたいな感じです。

私は、共に無自覚に過ごした時間の堆積それだけに頼った愛情関係が、ともすれば共依存的であるのが嫌なのです。相互依存的に互いに自立しあった人間で居ようと思うと、信頼関係を損なわない形での違う時間の過ごし方をできる人間でいたいと思うのです。

>あるいは、「愛情(の密度)」がある一定レベル以上であれば、あとは「一緒に費やした時間」が多ければ多いほど、「愛情の総量」は増えていくのかもしれませんね。逆に、ある一定レベル以下であれば、もういくら長い時間一緒にいてもダメだ…となるのかな。

それは正にその通りで、そんな訳でダメになった恋愛の堆積です、私の人生は(笑)。

投稿: Gazyumal | 2005年10月29日 (土) 午後 09時11分

>>Gazyumalさん
コメントありがとうございました。

>私は、共に無自覚に過ごした時間の堆積それだけに頼った愛情関係が、
>ともすれば共依存的であるのが嫌なのです。

ああ、これはわかるような気がします。言葉によるコミュニケーションをちゃんととらないまま、構築した(ように見える)愛情関係は、ある人たちにとってはとても心地よいものであり、別の人たちにとっては価値の低い馴れ合いでしかないと思えるようですね。個人的には、言葉によってコミュニケーションをがっちりととっていきたいタイプなので(だから、こんなブログをやっているのです。笑)、同じように考える人を探すのが大変です(苦笑)。過去にいなかったわけではありませんが、いずれも少数派に属したようです。女性の方が言語の運用能力は高いことが多いはずなのですが…。

>相互依存的に互いに自立しあった人間で居よう

河合隼雄がどこかに書いていましたが、「日本人が自立しようとすると、すぐに孤立になってしまう」とのことです。私は、すぐに甘えてしまうタイプなので(笑)、自立しようと思って孤立してしまいがちです。難しいものです…。

投稿: yuu | 2005年10月31日 (月) 午後 05時09分

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