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★嫌がる男にコンドームを使わせる方法

男女の間で、「ナマの方が気持ちいい」と思う割合はかなり違うようだ。もちろん、男の方が多く、女は男よりやや少ない。これは亀頭と膣の構造的な違いから来ているわけで、どうしようもないだろう。一般的に言って、亀頭表面は膣表面よりも敏感なので、ナマの“よさ”を感じ取りやすい。他にも理由はあるだろうが、「ナマの方が気持ちいい」という理由で、セックスの時にコンドームを使いたくない男は多い(はずだ)。

男の方は「ナマの方が気持ちいい」で済むことであっても、女の方は妊娠という大きな問題がある。男と同じように「ナマの方が気持ちいい」と思っていても、避妊手段を講じることなく、男と同じようにセックスに没頭するわけには行かない。ピルは確実性が高いが、性感染症には無力だ。となると、やはり「男には、コンドームを付けて欲しい」となるわけだ。特に、行きずりの男とセックスするときは。

さて、「ナマの方が気持ちいい」ということでコンドームを嫌がる男に使わせるには、どうしたらいいか。Dr.北村 ただいま診察中から。「Kちゃん」というのは女子高校生。セックスが好きで、渋谷で男を引っかけてホテルに誘っているとのこと(いわゆる援助交際ではないらしい)。

「どうやってコンドームを使わせたの?」とたずねると、Kちゃんからは思わぬ回答が返ってきました。まさに修羅場をくぐり抜けた末のアイデアの集積ともいえます。「妊娠したくないからとか、病気は嫌だからなんていったって、その場限りで私から去っていく男には関係ないこと。『私、病気持ちなの。だからコンドームを使って』と迫ったら何人かの男は慌てて帰っていった」とか。結局、いちばん効果的だったのは「私、病気持ちかも知れないからコンドーム使ったほうがいいと思うよ」との言葉。「男なんて自分が被害者になるのだと分からせてあげなければ、コンドームを使おうとしない」とも。

ぎゃふん、である。ぐうの音も出ない。こんな私でも、何かのはずみで、知らない女とホテルに行くことがあるかもしれない。女に「私、病気持ちかもしれないの」と言われなくても、取るべき行動を取れるように気持ちを引き締めておかないと。

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★なぜ親子心中を試みて、親が生き残るのか(3)

子供を持つことによって、自分の存在が自分の死後も続いていくと“誤解”してしまいそうになる私のような人間にとって、子供は自分の存在の延長であるかのように感じるだろう。何度も繰り返すが、それは単なる“誤解”に過ぎず、生まれ落ちた瞬間から親と子はいかなる意味でも別人ではあり、“誤解”した親はさまざまな機会に痛感していくものではないかと思うのだが、「この子は、私の中の何かを受け継いでいってくれるのではないか」と期待させるものが、親子関係にはあるような気がする。

このように“誤解”しがちな人間にとっては、「子供を殺す」ことは、親が自分の将来を完全に断ち切ることにつながる。子供と同時に死ぬ方法を選ぶのではなく、先に子供に手をかける親が圧倒的に多い(ように感じる)のは、自分への“破壊願望”の対象に、自分よりも自分の存在を未来に対して象徴する子供を選ぶ方が、より効果的に自分を“破壊”できるからではないか。

(この項終わり)

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★自分を幸せにしてくれる男を選ぶには

「男のお尻と太ももに注目すべき」だとのこと。本当かな? 大手小町より。

「男の生理」がわかれば、理想の彼氏ができると説く「男はおしりで選びなさい」(WAVE出版、税別1300円)。著者は、医学博士でクリニック院長の石原結実さん。  「オトコ選び」には、お尻と太ももに注目することを薦めている。お尻を横から見たときに、キュッと上がっていて張っており、太ももの筋肉に張りがあることが重要だという。  男らしい体つきや、闘争心、決断力、論理的思考力などには、「テストステロン」という男性ホルモンが不可欠。それを作るのは下半身だからだ。

そのうち、注文する予定。

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★なぜ親子心中を試みて、親が生き残るのか(2)

少し回り道をする。

最近、子供が欲しくなってきた。産んでくれる相手はいないので、単なる妄想でしかないが、なぜだろうと自分で考えてみた。

1つは、実家に帰って、一歳半になる甥と比較的長い時間一緒にいて、この年の子供のことを「かわいいなあ」と初めて思ったから。至極普通の理由だろう。

そして、もっと重要な理由が、女に子供を産ませることが、その女をより強く支配することにつながるような気がしたこと。…と書くと人格を疑われそうだが、私自身の中に、私よりも他のものを優先する女を支配したいと思う気持ちが心の片隅にあることは、疑えない事実のようだ。膣の中に射精し、子宮に自分の子供を宿らせる。夫婦関係であれば、まったく珍しくもなく、ごく普通のことだが、今の私には特別な意味があるように思える。

また、自分の子供は、自分の存在が、自分の死後も続いていくことを保証するように思える。もちろん、錯覚である。そんなことはない。自分の子供は、自分とは異なる存在である。ただ、自分の死後に、自分の分身として生きていくのだと思うと、死に臨んだときにも、少しだけ気持ちが楽になるような気がするのだ。

(続く)

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★なぜ親子心中を試みて、親が生き残るのか(1)

読売新聞のサイトから。親子心中を図って、子供だけ亡くなっている。

千葉県警銚子署は6日、同県銚子市植松町、パート配達員高橋純子容疑者(43)を殺人の疑いで逮捕した。調べによると、高橋容疑者は5日午後、同市桜井町の公園駐車場に止めた軽乗用車内で、幼稚園児の三男昌悟ちゃん(6)の首をひもで絞めて殺害した疑い。高橋容疑者は容疑を認めているが、動機については口を閉ざしているという。2人の左手首には、ともに切り傷があり、車内からカミソリが見つかった。県警は、高橋容疑者が心中を図ったとみて調べている。

親子心中については、つねづね「単なる殺人でしかなく、同情の余地はない」と考えているのだが、同時に死ねる方法ではなく、なぜか先に子供を殺す親が多い。なぜだろうかと、いろいろ考えていたのだが、1つの理由を思いついた。もちろん、実は自分が死ぬのは怖くて、意識的に、あるいは無意識的に子供は確実に殺しておいて、自分は深い傷を負わないようにする、ということがあるかもしれないが、それは今は考えないことにする。

(続く)

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