★哀しい別れの意味は
「哀しい別れを糧にして」なんてのは、なかなか言えるものではない。自分の体験についてそう言えるのは、あまり苦しんでいないか、あるいは本気でなかったか、どちらかだと思う。再び勢古浩爾「女はどんな男を認めるのか」から。
「哀しい別れ」など、なければない方がいい。しかし、どんな人間にもそれは避けられない。ならば、それをごまかさずに受けとめるしかない。たぶん「哀しい別れ」には、人間を人間としてあらしめる意味があるのだ。このような経験のないものには何かが欠落している。または、何かが付け加えられていない。だからといって、わざわざ「別れ」を求めることはない。が、もしそうなったときには、それをきちんと受けとめることのできる男や女であるように。もし、その「悲しみ」を想像できるなら、人は人を大事にすることができる。いくら学問的な頭が良くても、無神経で鈍感な男(女)は無意味だ。人間に大切なのは、他人の心を想像する力である。(185ページ)
大切なのは、きっと他人の悲しみを想像できることだと思う。自分の悲しみとともに、他人の悲しみを自分の心に感じられること。そのために「哀しい別れ」が必須だとは思わないが、しかし、「哀しい別れ」を体験して、それを自分の心の中で反芻する機会を持った人の方が、他人の悲しみを想像しやすいのだろう。
ただ、他人の悲しみを想像できたとしても、それが人生の糧にはならないのだろう。それだけでは、ごちそうを背中に背負っているようなものだ。他人のためにはなるが、自分で味わうことはできない。
さて、どうしたものかなあ。
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