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★妊娠中絶は「赤ちゃんを殺すこと」?

毎日インタラクティブの北村医師のページから。北村医師は、妊娠中絶を「モラルとしてではなく、女性の健康を保持するための選択肢の一つとして位置」づけているとか。

中絶を「赤ちゃんを殺すこと」などと物騒な言葉を使うことがとても気になります。以前、外国から訪ねて来た女性新聞記者が次のように語っていました。

 「中絶が行われた日をひとときも忘れずに、水子供養を繰り返すという老女を取材し胸が熱くなりました。日本の若い女性達がセックスをした直後から『赤ちゃんができたらどうしよう』と大騒ぎしているのと関係があるのではないでしょうか。英語では、妊娠を継続することを決めたときからが赤ちゃん(baby)、それまでは胎児(fetus)と表現します。実体さえないにもかかわらず『赤ちゃん』という言い方はないでしょうに・・・」

「妊娠を継続することを決めたときから赤ちゃん、それまでは胎児と表現します」というくだりに、私は違和感を覚える。そこには「生命は、人間の意思によって作り出すことができるのだ」という確信が見え隠れする。中絶した日を何十年も忘れずに、水子供養をしながら齢を重ねるのがいいとは言わないが、生命に対する畏敬の念があまり見えないのもよくない。だいたい、妊娠したのに「実体がない」って・・・よく言うよ。

しかし、そうかといって、きちんとした避妊に男性が協力的でないという事実があれば、それを看過してはならない。聞くところによると、援交する若い女性たちの間で、コンドームの使用率が落ちているらしい。まさに自殺行為である。理由を想像できないわけではないが、それにしてもいかがなものか。

中絶は「赤ちゃんを殺すこと」だと思う。しかし、単なる殺人と異なることも少なくない。そこをよく考えてみるべきだ。

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★夫は妻より先に死んだ方がよい

1つ下の記事の続き。夫が先立つときに残したメッセージは、妻を励まし続ける。しかし、逆はほとんどあり得ない。その違いについて。岩月謙司「なぜ、男は『女はバカ』と思ってしまうのか」から。

女性は、かくも感情を精確に脳に記録し、そしてそれを引き出して、まるで今自分が実体験しているかのごとく、過去の気持ちよさを味わうことができるのです。だから、女性の場合、過去の美しい想い出を抱いて未来に生きることが可能なのです。

 一方、男性は、過去においてどんなに気持ちいい体験をしても、女性のように、未来においてその気持ちよさを味わうことはできません。だから、男性は、常に気持ちいいことをし続けなければいけないのです。

 こういう違いが、配偶者に先立たれたときの男女差になって現れるのです。(89ページ)

仮に妻が遺書で百万言を費やそうとも、それは夫にとって、妻の代わりにはならない。妻と暮らした日々がいくら美しいものだと思い返されようとも、夫の悲しみは増すばかりだ。いや、むしろ美しい日々を送っていれば、それだけ男にとってはパートナーを失った苦しみ、悲しみは強くなる。

だから、男の方が寿命が短くあるべきなのだ。

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★もしアナタが今死ぬとしたら

毎日インタラクティブの記事より。2年前に亡くなった夫の手紙を、今も大切にしている63歳女性の手紙から。

母さんと結婚して自分は幸せだった。世界一幸せ者だったよ。まだまだ母さんと一緒に暮らしたかった。でも誰にでもいつかは別れがある。病気にはなったけど一人一人が言葉に表現できないくらいにいたわり優しくつつんでくれた。家族の絆(きずな)に支えられ癒やされて自分はとても幸せで何も思い残す事はない。心からありがとう。できる事なら来世も一緒になりたい。紀子の席は温めておくけど急いで来ては困るよ。

非の打ち所がないメッセージだと思う。
考えてみたいのは、結婚している人はパートナーに対してこう言えるのか、結婚していない人は彼氏・彼女にこう言いたくなるだろうか、ということ。

想像もできない人、想像はできるが機会に恵まれない人(私を含む・・かもしれない)は、残念ながら、門前払いだ。独りで死ぬことを考えるしかない。それがどういうことか、パートナーのいる人には想像できないだろうなあ。

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★夫とのセックスを断る女性へ

2つ下の記事の続き。
夫とのセックスを断る女性は、「夫の心を傷つけるとわかっているが、やっぱりイヤなものはイヤ」とか「私はしたくないから、夫には我慢してもらおう」とか、だいたいの場合、夫に対する悪影響は“事前に”感じているのだと思う。

ただ、“その悪影響がなぜ生じるのか”については、無頓着な女性もいるかもしれない。「なぜ男はセックスを拒否されたくらいで、ひどく不機嫌になるの?」と不思議に思う女性のために、ちょっと解説。再び岩月謙司「娘は男親のどこを見ているか」から。

 女性から男性への肯定や支持というのは、夫がいざとなったときにこそ発揮されます。物事は何でも、いざとなったときに真価が問われるものですが、愛された女性は、自分を愛してくれた者が危機に陥ったとき、極めて積極的に行動します。

 誇りを持ち、仕事を楽しんでいる夫でも、会社の仲間に意地悪されたり、嫉妬されたり、あるいは、不況で会社が倒産したりして挫折することもあります。めげたときこそ、妻からの応援が男性は必要です。(132ページ)

「妻からの応援」の中で、かなり効果的なのがセックスなのである。つまり、妻にセックスを許してもらうことで、「妻に励まされた」と感じるものなのである。だから、妻にセックスを拒否されると、本来受けられるはずの“励まし”を受けることができず、仕事にまで差し支えが出てくることもある。だからといって、たとえ夫であっても、嫌な男とのセックスを受け入れられないという気持ちは、よくわかる。拒否したい気持ちを、むしろ大切にして欲しいくらいだ。そこでどうするか、なかなか難しい問題なので、一概に「こうすればいい」とは言えないが…。

まあ、妻の体を性欲のはけ口にしか考えていない男も少なくないだろうから、そういう男は、妻からの“励まし”をきちんと受け取っていないのかもしれないけどね。

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サイドバー、折りたたみました

facetさんご紹介の方法で、サイドバーを折りたたんでみました。いろいろ工夫して、動作速度ができるだけ速くなるようにしてあります。

なかなか便利ですね。
ありがとう!>facetさん

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★セックスレスに悩む男性へ

たまたま「セックスレスをまじめに考える」さんとか、「わたしのこころ」さんのblogを見つけた。

セックスレスに悩むのは男性とは限らないが、今回は妻にセックスを拒否される男性に。参考になれば幸い。テクストは、再び岩月謙司「娘は男親のどこを見ているか」から。

 女性が感じる快感の中で(食べる快感を除きます)一番大きな快感は、誰かとつながっている安心感による快感です。悦びの共感を介して心の絆を作ると、女性はそこに大きな満足を見いだすのです。

 夫との場合も同様です。夫と、愛と信頼の絆でつながれることが妻としてもっともうれしいことです。妻としての誇りでもあります。夫婦の場合、セックスにそれが現れます。夫は過去誇り高く生きてきたかどうか、夫がどれだけ妻の幸せを願っているのか、どれだけ妻に対して思いやりがあるか、それが女性にはよくわかるのです。

 逆に、女性を思いやる気持ちもないのに、性欲だけでセックスをされることを一番嫌がります。独りよがりなセックスを女性は嫌悪するのです。(115ページ)

セックスレスは、セックスレスだけで問題が独立していることはほとんどないと思う。「いい人なんだけど、セックスだけはしたくない」と妻が夫のことを言う場合、だいたい、夫は「いい人」なんかではない。もちろん、よほど暴力的なセックスをするとか、極めて変態的な要求をするとか、何時間しても終わらない(これも実は問題)とか、明らかに夫の性癖や能力に起因する問題点がある場合は別だが、実際は妻が夫に対する大きな不満を持っているのではないか。

じゃあ、夫はどうすればよいのか。

女性が夫から愛情を吸収するのはセックスの時だけではありません。普段の何気ない会話の最中でも吸収しています。だから、何気ない会話が重要なのです。セックスの時だけ優しくても女性は悦びません。セックス以外の時にも、自分の幸せを一生懸命に願ってくれないと、女性は気持ちよくなれないのです。(117ページ)

考えてみれば当たり前のことだが、セックスレス(この場合は、妻にセックスを拒否されること)を嘆く前に少し考えてみると、いい結果が出てくるかもしれない。本当は、「なぜセックスが嫌なのか」をじっくり話し合うのがいいのだが…。セックスレスに悩む男性のサイトを見ていると、そんな話題を出すことさえ難しいみたい。

セックスレスに悩む男性は、まず夫婦の心の関係を再構築するところから始めるしかないのかも。

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★男女どちらが避妊のことを真剣に考えるべき?

再び北村医師のページから。

緊急避妊ピルを求める相談を受けていてとても気になるのは、男性からの相談が目立つことです。セックスの当事者なのだから当然だとお考えになられる読者も多いでしょうが、私にはどうしても合点がいきません。妊娠は男性の身体には絶対に起こり得ない出来事なのです。ですから避妊は女性の問題としてまず考えなければなりません。「自分で守れ、君のカラダ、君の人生」

これ、どうかなあ? もちろん、女性自身が避妊のことを主体的に考えるのは当然必要だと思うけれど、男性からの相談が目立つことで女性を非難するのはいかがなものかな。わざわざ相談するような男性は、もし妊娠したときに「どうせ別の男の子どもだろ? オレは知らねーよ」とは言わない(あるいは、言いたくない)、比較的責任感のある方に属するのではないかな? 

まあ、「コイツとは遊びだから、妊娠なんてとんでもない」なんて男もいるだろうけどね。

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★性体験がある=性感染症の検査を受けねばならない?

ある婦人科医(男性)は、女子高校生に「ボーイフレンドができたら、ここに来るように」などと常日頃言っているとのこと。彼氏ができたら、「連れてこい」とも言っていたらしい。で、ある日、女子大生が彼を連れてきた。毎日インタラクティブの北村医師のページから。

「ボーフレンドができたらここに一緒に来るように。セックスをあせるなよ」「セックスが行われるとなったら確実な避妊法を選択できるように」「相手にセックスの経験があったら性感染症を疑ってかかること」。挙げ句、「『会って欲しいおじさんがいるの』、と言ってここに連れてきなさい」と。

1つ目はいい。「セックスを焦るな」 若い男女には口が酸っぱくなるまで言ったとしても、言い過ぎではないだろう。特に、女性はセックスによって心が“汚される”から、十分に相手を見極める必要がある。2つ目もいい。「確実な避妊法を選択せよ」 確かにそうだ。膣外射精なんて避妊ではない。最初のセックスで「コンドームを付けたくない」とほざく男とのセックスは拒否してやればいい。

しかし、3つ目はどうだ? 性体験があれば、みんな性感染症の検査をしなければならないのか? そりゃ、そうなれば婦人科やら泌尿器科は大盛況だろうがね。

結局のところ、このオッサンの言いたいことは、これらしい。

もちろん、性感染症が否定されればセックスを容認するということではありません。

はいはい、純潔教育ね。もういいよ、オッサン。セックスの意味を考えたことがないオッサンの言うことを、真面目に聞いている女子大生に私は心から同情する。


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★産まないことでかかる負担(改)

毎日インタラクティブの北村医師のページから。妊娠しないでいることが、女性の体に大きな負担をかけるらしい。

がんがなぜ発生するかについては簡単には説明できませんが、その一つに、傷ついた組織が修復される過程で起こるのではないかという説があります。

 例えば、卵巣がんの発生について科学してみましょう。通常、女性ホルモンの微妙な変化が排卵という現象を引き起こしますが、その際、卵巣では毎周期に卵胞が破裂する、排卵する、卵胞の修復が起こるということが繰り返されます。妊娠中と産後積極的に授乳が行われている間は排卵が起こりませんが、現代のように少子化が進行しますと、言い方は悪いですが、無意味な排卵が繰り返されることになり、結果として卵巣がんの発生率を高める結果となります。

他に、「偏頭痛、ぜんそく、リウマチ性関節炎、てんかん、過敏性腸症候群」なども月経時に悪化すると言われているらしい。

月経痛に悩む女性が周囲にいると、「本当に大変だなあ」と思ってしまう。仕事でメールのやりとりをする女性が、毎月ある時期になると「体調が悪くて…」とメールに書いてくるたび、「生理痛なんですね。大丈夫ですか」とは言えずに、「大変ですねえ」と曖昧な答え方をしている。「子宮内膜症は注意した方がいい」とか「あまり大変なら、ピルを飲んだら?」と男はなかなか言えないし・・・。

とはいえ、北村医師もこの記事の中で書いているが、“月経がもたらすさまざまな症状を避けるために妊娠を選択する”というのも、少し違うような気がする。だいたい、“自分が自分の人生をコントロールできる”ということに多くの人が価値を見いだしている現在、子供を産むかどうかを自分の意志に反して決断させられるのは、あまりうれしいことではないはず。

この問題の解決策として、有効なのがピル(経口避妊薬)だとのこと。日本では、法律上の問題でなじみが薄いが、うまく利用していきたいものだ。


(注)「★産まないことは女のリスク」として公開した記事を修正した。

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★愛のないセックスでも高次元であり得るのか

reversibleより。以前からずっと不思議に思っていたのだが、肉体を売っている女性の中には、ひどく深く透徹した洞察力を持っている人がたまにいる。このサイトのゆかさんが、その1人だ。

性を金銭と交換する世界には、愛は無いが、快感をやり取りする肉体に対する畏敬の念は常に存在するし、それさえ持たない人達のほとんどは、性を購う社会的な生活を維持することは、不可能になっていく。巨大な財産を相続した人達以外は。

「肉体に対する畏敬の念」を持つこと。これがキーなのだろうか。

精神と肉体を分離することによって、科学は大きく発展した。そして、その代償として、心を原因とする病が増えた。「体は売っても、心は売らないよ」と言う少女たちは、肉体と精神が別々であることを疑わないが、実はそんなことはあり得ない。精神は肉体に強く規定されている。

「肉体に対する畏敬の念」を持つ人たちは、肉体が精神に及ぼす“ちから”を本能的に感じている人たちであろう。女を買う男と体を売る女との間には、恋人同士ではないからこそ、恋愛感情抜きで肉体と精神の関係を純粋に追求できるのかもしれない。

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★結婚生活をつまらないものにしないために

Yasさんの「Simple - 憂鬱なプログラムによるオブジェクト指向な日々」から。“恋愛は楽しいのに、結婚生活はなぜつまらないか”というテーマについて、社会学者ロジェ・カイヨワの「遊び」に関する定義から考察している。

カイヨワによれば、「遊び」の持つ基本的な性格として、以下の項目が挙げられる。

  1. 自由
  2. 実生活外の虚構
  3. 没利害
  4. 時間的・空間的に分離
  5. 特定のルールの支配

これについて、Yasさんはこう解説する。

遊びは「自由」であり、行為者の自発的な行動であること。強制されれば遊びは魅力を失う。

「実生活外の虚構」とは、日常生活と対比した場合に、非現実であるという特殊な意識を伴っていることである。

「没利害」は、遊びによって富などを生み出さないこと。遊びは非生産的で時間の無駄だと言う人がいるが、役に立たなくて非生産的だからこそ遊びは面白いのである。

「時間的・空間的に分離」は、あらかじめ決められた明確な空間の時間の範囲内に制限されること。

「特定のルールの支配」は、約束事に従う活動である。遊びにはルールが伴うものもある。

このそれぞれが結婚生活では損なわれてしまうために、結婚生活はつまらないという結論になるそうだ。たとえば、結婚すれば「自由」は大幅に減ってしまうことが多いし、結婚生活はあくまでも“実生活”であるため、「実生活外の虚構」は持ちにくくなる。さらに、夫婦は1つの経済単位であり、運命共同体であるから、「没利害」であることはできない。また、死ぬまで“止められない”から「時間的・空間的に分離」(=終わりがある、特別の場所でやる)という条件には当てはまらない。最後の「特定のルールの支配」という条件のみが、結婚生活では(過剰に)満たされている。だから、結婚は恋愛と比べてつまらない・・・ということらしい。違っていたらご指摘ください。

「結婚生活が恋愛関係ほど楽しくない」ということは、結婚したことがない私にとっては想像しかできないが、たぶんそうなのだろう。ただ、「結婚生活が恋愛関係ほど楽しくない」という“事実”を目の前にして、「だから、結婚なんかせずに、恋愛だけにしておこう」とは言いたくない。

自由が大幅に制限されるからこそ、互いに(できる範囲で)自由を与えあうようにする。結婚生活は実生活に過ぎないからこそ、そこに「実生活外の虚構」を持ち込む努力をする。利害関係にがんじがらめになっているからこそ、利害の絡まない人間関係やイベントを大切にする。終わりがないからこそ、節目ごとの“儀式”を重視する。過剰なルールに縛られてしまいがちだからこそ、少しルールをゆるめてみる。

ちょっと想像してみただけでも、なかなか大変だ。ただ、多くの夫婦にとって、時間はたくさんある。何しろ、死ぬまで一緒にいるのだ。数十年という単位で時間があるはずだ。仕事だけ、育児だけ、趣味だけに時間を費やしてしまうと、そんな時間はすぐに経ってしまうが、互いに向き合って考えてみようと思うなら、結果を出すための時間は十分あるはず。

・・・と考えたんだけど、どうなのかなあ。しょせん、“毒男”の考えたことだからね。

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★異性の身体のどこに魅力を感じる?

再び「嘘つき男と泣き虫女」より。異性の魅力は身体からのみ感じるのではないのは当然だが、身体から感じる魅力について考えるなら、どこにもっとも魅力を感じるのか。まず、男性が女性に魅力を感じる部分は、以下の順番だとか。194ページ。

  1. 引き締まった体つき
  2. 官能的な唇
  3. 豊かな乳房
  4. 長い脚
  5. くびれたウエスト
  6. 丸みのある尻
  7. 魅力的な目
  8. 長い髪
  9. 小さな鼻
  10. 平べったい腹
  11. 弓なりの背中
  12. ふっくらした恥丘
  13. 長い首

いずれも、「なるほど」と思わせるポイントだが、この順番はすべての人に当てはまるものでもないだろう。たとえば私はというと、「引き締まった体つき」よりは、「豊かな乳房」や「丸みのある尻」の方が魅力を感じるようだ(笑)。

逆に、女性が男性に魅力を感じる部分はというと、以下のようになる。234ページ。

  1. 引き締まった身体の線
  2. がっしりした肩と胸、筋肉隆々の腕
  3. 小さくて締まった尻
  4. 豊かな髪
  5. 官能的な唇
  6. 優しそうな目
  7. はっきりした鼻とあご
  8. 細い腰
  9. 鍛えられた腹筋
  10. 大きいペニス
  11. 無精ひげ

ううむ、最後を除いては、なかなか難しいものばかりだ(苦笑)。ボディビルでもやるしかないかなあ。ただし、女性が男性に感じる身体的な魅力は、男性が女性に感じる身体的な魅力よりもずっと重要でないらしいので、あまり気にしないでもいいかもしれない>男性諸氏。

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★彼氏(彼女)を何分待てますか?

時事通信提供のニュースから。

恋人なら約束の時間に遅れても30分は待ってます-。セイコーが10日の「時の記念日」にちなみ、遅刻の許容時間について調べたところ、恋人同士が最も寛大という結果が出た。同社は「愛し合っていれば、待つのも苦にならないのでは」(秘書・広報部)と分析している。

最近はケータイのメールなどで、待ち合わせ場所が屋外や駅でも連絡が付くことが多いから、“連絡があって、遅れることがわかっている場合”と“連絡がなくて、遅れることを知らない場合”に分けた方がいいかもしれない。

ちなみに、私は、連絡が付いて後に予定が入っていなければ、2時間くらいは待てるかな。2時間待ったら、さすがに疲れそうだけど(笑)。もちろん、立って待ってるのはしんどいので、近くのコーヒーショップに入って本を読んでるかな。連絡がつかなくて、後の予定があったら(だいたい30分しか時間がとれないときは、1時間も待っていられない)、さすがに後の予定に差し支えないように退散するだろうなあ。

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★いつまで「子育て中」?

再び酒井順子「少子」から。

「子育てしてると、とても服とか髪なんかにかまってられないのよー」と言っています。私も、子育て中の友人たちの暮らしを見ていると、とてもおしゃれどころではないということはよくわかる。子育て中の友達は、「セックスとかもぜーんぜん、したくないのよね」とも言っていました。(77ページ)

子育て中の女性に性欲がないのは、“子どもが小さいうちは、次の子どもを作るより今の子どもをきちんと育てなさい”という自然の摂理かもしれないが、それはさておく。

問題としたいのは「子育て」という言葉の使われ方。少し前に、中学校時代にほんの一時期付き合っていた女の子の、双子の姉と20数年ぶりにメールをやりとりする機会があって、「妹は、どこそこで子育て中です」という言い回しを聞いたが、その言葉の中の「子育て」が何かの仕事のように聞こえて、変な気持ちがしたのだ。

もちろん、「子育て」を仕事ととらえることが悪いとは思わないが、「薬剤師として薬局に勤めています」とか「スーパーでレジを打っています」とかの代わりに、「今は子育て中です」と言われても、なんだかぴんと来ない。もしかしたら、ぴんと来ない方がよくないのかもしれないが、それならそれで理由を突き止めておきたいものだ。

もう1つわからないことがある。「子育て中」とは、子どもがいくつからいくつまでの状態を言うのだろうか。「子育てを終えて」という言い回しもよく聞くが、これとて子どもがいくつになれば「子育て」を終えることができるのか、はっきりしていないのではないかな?子どもが成人式を迎えれば、さすがに「子育ては終わった」と言えるかもしれないが、まさかそれまで「子育て中」とは普通言わないだろう。となると、子どもが中学校を卒業するまでか?いや、最近のお受験ブームで中高一貫教育の学校に入っていれば、中学校の卒業はエポックメーキングな出来事とは言えまいし・・・。

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★野獣のような性欲を持つ男こそ、まっとうなのか?

再び酒井順子「少子」から。

現代を生きるサラサラ(引用者注:「ギラつく性欲が感じられない」)の若者たちを見ていると、私は80年代に「野獣」と呼ばれていた性豪たちが懐かしくなってきます。あの人たちは、確かにバカではあったが、たくましい性欲だけは持っていた。今にして思えば、彼らの姿は人間として、生き物として、まっとうだったのです。ああ、あの単純な放出欲求はどこへ行ってしまったのであろうか。(143ページ)

「単純な放出欲求」を持つ男たちであれば、元早大生の和田某が主催していた「スーパーフリー」には、たくさんいたんじゃないかな。もしそういう男たちと関わりたければ、しかるべき場所に行けば、会えるのではないかな。彼らが酒井を相手にするかどうかは別だけど。

それにしても、本当に「バカ」で「たくましい性欲だけ」持っている男がいいのか、アンタは?まあ、和田某らを「ああいう人たちはまだ元気がある方だ」と評した政治家もいるくらいだから、酒井順子あたりが同じようなことを言っても、そんなに不思議はないかもしれない(諦)。

あのね、人間に普遍的に備わっているものも少なくないけれど、時の流れや社会の変遷に従って、失ったり得られたりするものもあるわけ。そこで、しばしば「生き物として」の「まっとう」さも変化するものなんだよ。今は、「単純な放出欲求」を発散させているのは「まっとう」ではないわけ。わかる?

どうも、酒井順子というのは、気の利いたことは言えるタイプだが、あまり深く考えるタイプではないらしい。“負け犬”論議もちょっとどうかなあと思ってはいたが、こういう人の考えることであれば、まともに考えることもなかろう。「負け犬の遠吠え」は、もう買ってあるけどね(苦笑)。

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★ハイリスク・アンノウンリターンをあえて選ぶ意味

最近話題の酒井順子の「少子」から。酒井は、家族を所有することは、(ハイリスク・ハイリターン、というより)ハイリスク・アンノウンリターンにつながるという。

結婚しないで独身のまま死ぬ、という暮らしはどうなのかといえば、こちらはローリスク・ローリターン。「一人で生きる」と聞くと大変そうにも聞こえますが、実は独身生活においては、損も得も自分で責任がとれる範囲のものにしか見舞われないもの。予想外の大幸福が訪れることも少ないかもしれませんが、まあそこそこ楽しく、その上、結婚生活にはありがちな「自分には責任のないリスク」を背負わずに住むのです。(60ページ)

これを読んで思ったことが2つある。1つは、これは多くの女性と少しの男性に当てはまる考え方だろうな、ということ。女性は毎日の細々としたことにも“幸せ”を見つけることが得意なので、うまく生活を整えることができれば、それなりに幸せに一人で暮らせるかもしれない。

これに対して、多くの男性はカタチにはこだわるし、ちょっとくらいいいことがあってもウレシクない。たとえば、万馬券や宝くじがあたるか、絶世の美女(普通の女性ではなく)とベッドをともにするか、会社の社長にならないとウレシクない。ごく狭い世界で認められることで満足する人たちもいるが、しばしば彼らはオタクと呼ばれる。そうではない男性は、何らかの形で“大きなもの”“偉大なもの”を求める。

もう1つは、酒井は、「自分には責任のないリスク」によって自分の生活が脅かされるのをかなり嫌っていることでもわかるが、“自分の考え方や存在そのものが変化してしまう”ことを想像できないでいる。つまり、今は“そんなことがあれば、不幸になるに違いない”と思っていることが、実は“それによって幸せになった”という事態を、徹底的に排除している。わかりやすい例で言えば、産んだ子どもが障害児だったとする。とても不幸なこと・・・と考えられることが多い。しかし、実際に育ててみると、子どもが障害児であることによって親が得られるものも少なくない(それが何であるか、私の解釈はそのうち書く)。

もちろん、「自分には責任のないリスク」によって苦しめられることも少なくないし、むしろそちらが普通であろう。しかし、それが単に嫌なこと、忌むべきこと、避けるべきことではなく、そこから何かを獲得すべきもの、自分を鍛えてくれるもの、運命として引き受けるものである、と考えることで、「まあそこそこ楽し」い暮らしを、「辛いが味わいのある」暮らしに変化させることができる、かもしれない。

まあ、実際には、家族を持つ生活がそんな理屈で割り切れるほど甘くない、ということは重々承知した上で、それでもなお、そういう考え方の可能性を捨てたくない。今は、そう思う。

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★痩せるには一日一食

“痩せたい”だけでなく、“健康でいたい”という人には一日一食とか、食事の回数を減らし、食後すぐに運動しないのがいいらしい。小山内博「生活習慣病に克つ新常識」から。

食後すぐの労働が消化活動を妨げ、胃腸を傷つけることは、吉野の林業労働者の胃ガン死がチェーンソー導入後30%近くも減少したことからも証明されます。たとえ胃ガンにまで至らなくても、食後の活動がさまざまな胃腸の障害に結びつくことは当然考えられます。(22ページ)

食後すぐに体を動かしたり、ストレスのかかる仕事をすると、十分に胃に血液が回らず、胃を痛めてしまう。それを繰り返していると、胃ガンになる・・・というのが、小山内の主張だ。だから、食後に休みを取れる夕食を多めにして、残りは食べないか、減らすのがよい・・・らしい。

実な同じようなことを提唱している人がもう一人いる。加藤寛一郎「一日一食断食減量道」より。

減量について訳知り顔の人が問う。「一食で大丈夫か」と。大丈夫である。むしろ、一食の方がよい。その方が生存のための本能を、より早く目覚めさせる。「栄養のバランスは大丈夫か」「ビタミンが不足しないか」。大丈夫である。人体は、そんなに柔(やわ)ではない。不足する成分は、自分で知覚できるようになる。ここが生物としての人間のすごみである。(25ページ)

詳しいことは、それぞれの本にあたられたい。私も、昔、短期間に減量したことがあるが、そのときは徹底的に食べなかった。一日0.5食くらいだったので、ちょっとぼんやりした時間が長くなり、あまり人にお勧めできるものではないが、あれが一日一食であれば、もう少し楽に減量できたかなとは思う。

むろん、すでに何らかの病気を患っている人、だいたい太っていない人などは、試みないことをお勧めする。誰も責任なんか持てないしね。

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