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★いつから「私の子ども」と言えますか(続)

こちらの記事の続き。鷲田清一『教養としての「死」を考える』から。

人はいつ生まれいつ死ぬのかと問われたら、私はこう答えたいと思います。「親が自分の子だと認識したときに生まれ、一方、その人を知っている人が誰もいなくなったときに死ぬのだ」と。(31ページ)

鷲田は「誕生においては、客観的な個体の状態に基づいて命のあるなしの問題に線を引くことなど、とてもできない」とも言う。つまり、“まだ3ヶ月目だから、子ども(人間)ではない”という線を引くことはできない、ということ。不要になった受精卵を、「余剰胚」として捨ててしまうことに抵抗がない人や、実験などに“有効利用”してしまおうとする考えのもとには、「人間は、母親の胎内で十月十日過ごし、五体満足で生まれてこそ、人間である」という前提がある。そして、その前提は、科学技術によって“有効利用”される「余剰胚」を作り出している。

是とするか否とするかは一人一人が考えることであろうが、そういう構造は知っておいた方がいいと思う。

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コメント

>親が自分の子だと認識したときに生まれる
これは確かにその通りだと思います。受精卵は、もう既に命であると思います。

>その人を知っている人が誰もいなくなったときに死ぬのだ
・・・そういう、社会的に「死んだ」人でも、生命の続く限り、生きています。自己を認める自我が存在する限りは・・・

投稿: mia | 2004年4月24日 (土) 午後 09時48分

逆に言えば、親が“これが自分の子どもである”と認識しなければ、臨月になってもまだ“生まれていない”わけですね。鷲田の考えに従うなら、ですが。

子供を持つことは、一般的に言えば、人間が成長する機会であると思いますが、すべての人間にとってそうであるとも言えないところが、難しいです。

投稿: yuu | 2004年4月27日 (火) 午前 03時02分

>逆に言えば、親が“これが自分の子どもである”と認識しなければ、臨月になってもまだ“生まれていない”わけですね。

それだから、世の中怖いことが生きるわけですよ。
親が“これが自分の子どもである”と認識しなければ、生まれたあとでも、まだ生まれていない”ことになっているのかも。

受精卵から既に生命であるべきで、神の領域である人工生殖に手をつけた時点から、人間はそう認識せねばならなかったと思います。

投稿: mia | 2004年4月28日 (水) 午前 05時06分

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