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★子どもに一番必要なこと

鷲田清一『教養としての「死」を考える』から。

子どもは、誰でも自分の意思が関わらないところで生まれてくるわけですから、それでも生きていかなければならないとしたら、少なくとも、ここにいてもいいということくらいは無条件に保証されている必要があります。理由はどうあれ、ここにいていいのだという感覚は、その意味で私たち人間にとって、生存を形作るための欠くことのできない要素の一つだと思います。(42ページ)

“無条件で、ここにいてもいい”という感覚。持っている人にはピンと来ないかもしれないが、親から与えられなかった人間にはいつまでも引っかかる問題だ。“いい子でないと捨てられる”“言うことを聞かないと受け入れられない”といった幼少期を過ごした者は、親が死ぬまで、親の存在を呪い続けるしか自分の心の平衡を保つ方法はない。いや、「ない」のではないが、それがもっとも安定した在り方だと思う。そして、親が死んでから、あるいは自分が子どもを持ってから、やっと和解するのである。

こんなヤヤコシイことにしないためにも、親は子どもを無条件で受け入れるようにして欲しいものだ。塾なんか、行かせなくていいからさっ!

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コメント

>“無条件で、ここにいてもいい”という感覚。

それが大事ですよね。

愛の基本、でしょうね。

投稿: mia | 2004年4月22日 (木) 午前 05時36分

無条件で、ここにいてもいい”という感覚がゼロで、克服するのに長い年月が必要でした。
これ、親からの愛だけでなく、周囲の環境も重要です。
本人の、生まれながらの気質も、大いに関係ありと考えてます。
親だけでなく、自分を、世間を、呪いましたわー。

この感覚は、多分、人間としての基礎だと思います。
これがないってのは、悲劇です。

もし、自分に子供が生まれたとしたら?
子供にこれを与えられるか、まったく自信がありません。
頭でわかっているのと、実行するのとでは天地の差があるから。

投稿: あいねこ | 2004年4月23日 (金) 午後 09時49分

>もし、自分に子供が生まれたとしたら?

とても難しい問題です。
母親から、無条件で“ここにいてもいい”と感覚を与えられないと、子どもは辛いかもしれない。どういう形で“ここにいてもいい”と子どもに思わせてあげられるような親になるかは、まさにケースバイケースだと思います。状況によっては、パートナーが支えてくれることもあるでしょうし、別の人が支えてくれることもあるでしょう。母親自身が自分に対して無条件に“ここにいてもいい”と、自分自身の存在を肯定していないと、子どもの存在も肯定できないのかな。
子どもが生まれると、母親は変わるのかもしれません。いえ、一般論としてではなく(!)、そういう人もいるかもれしない、というだけですけれど。

う~ん、恋愛についてつきつめて考えると、生きること一般についても語りたくなってしまう。。。別のサイトでやろうかなあ。

投稿: yuu | 2004年4月24日 (土) 午前 01時09分

とりあえず、生きる事一般についてのカテゴリーを作ってはどうでしょう?
あるいは、番外編的なカテゴリーとか?

恋愛とは切り離せない事柄だから、出来ればこのサイト内で語って欲しいです(^^)
でも本格的に語るのなら、別サイトを立ち上げるほうがいいのかなあ?

投稿: あいねこ | 2004年4月25日 (日) 午後 05時58分

ご意見ありがとうございます。
>>あいねこさま

たとえば…
深夜のNHKでドキュメンタリーを見ていたら、ダウン症の子どもの番組を放送したのを見ているときに、こう考えた。
彼ら彼女らを、われわれの社会が義務として(つまり、嫌々ながら)支えるのではなく、われわれの社会が捨て去ったものを回復するために、彼ら彼女らと関わっていかねばならないのではないか。
そこには、ケアする←→ケアされるの役割の転換が起こるのではないか。
…というような話題は、ちょっとここにはそぐわないかも、って思っている次第で。

投稿: yuu | 2004年4月27日 (火) 午前 03時18分

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