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★いつから「私の子ども」と言えますか

鷲田清一『教養としての「死」を考える』から。不妊治療では、受精卵を複数採取し、そのうちのいずれかが着床すれば、残りは「余剰胚」として捨てられてしまうとか。現在、その「余剰胚」を“有効利用”した研究も盛んらしい。

ある不妊治療をテーマにしたシンポジウムのディスカッションで、話の中で受精胚がモノのように扱われることにいたたまれなくなった一人の女性が、会場から手を挙げ、「私は余剰胚が捨てられるときに、お葬式をしました」と発言し、参加していたパネリストたちが思わず失笑したという話があります。(29ページ)

さて、アナタはどちらですか? 失笑しますか、それとも「へええ」と思いますか。

私なりの考えを書く前に、よかったら、ちょっと考えてください。

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コメント

「お葬式をした」彼女の発言が正常な感覚だと思います。

>参加していたパネリストたちが思わず失笑した

いったいどんなパネリストたちなのでしょう?
そんな感覚で、不妊治療を討論していたのですか??
そちらこそが問題です。

投稿: mia | 2004年4月20日 (火) 午前 03時43分

母となる意識はすでに卵の段階であると思います。
極論で行けば、毎月1個ずつさよならしてる卵でさえ、自分の分身であるとも思います。たまたま半身なだけで。
それには魂も命も何もないのでしょうが、イメージですね。

科学の目で見てしまうと心の部分を無視しないと進めていけないこともあるのでしょうが、母親としてはとても割り切れる感覚ではないでしょうね。

私は葬式まではしないかもしれませんが、絶対に失笑はしません。

投稿: mie | 2004年4月20日 (火) 午後 02時35分

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