« 2004年3月 | トップページ | 2004年5月 »

★結婚相談所の策略に乗るな!

Nozze(ノッツェ)がインフォシークに出している広告ページから。りっちゃんなる女性が書いているコラム「晩婚化をストップさせる突破口とは?」で、結婚できない女性が多いのはイイ男がいないからだと言う。

では、どういう男のことを「イイ男」というのか? 昔は、よく三高、高収入で高学歴で、背が高い男がいい、といわれていわよね。でもこのご時世、明日には二高(高収入が消える)になるかもしれないし、今更そんなこといっていられる時代でもないわけよ。あーあぁ、分かりやすい基準があったあの頃が懐かしいわよ。

ふむふむ。確かに、高収入・高学歴・高身長を本当にイイ男の条件だと信じたキミには、高収入という基準が信用できなくなった現在の日本社会は、あまりうれしいものではないだろうな。それはわかる。

一人でいる期間が長ければ長いほど、世間体がますます気になってくる。だって、仕事もなんでもたった一人で頑張ってきたんだもの。こんなに頑張った自分は、世間から、「ありゃりゃ、もう若くないから、あんなのしかいなかったのね」と思われる男を選んではいけないわけよ。皆に最低限「なるほど、納まるところに納まったわね」と思せる(ママ)男でなければいけないのよ。

さ、このディスクールで問題となりそうなポイントがわかりました?>特に、これから結婚したい女性のみなさま

女性に対して「あなたも結婚しましょう」と論を進めている最中に、そっと「あなたは結婚してはダメよ」という言葉を滑り込ませているのがお分かりだろうか。私から見ると、大変悪質である。金属バットでフルスイングして頭をかち割ってやろうか、と思う。

答えはココ。
「こんなに頑張った自分は、世間から、『ありゃりゃ、もう若くないから、あんなのしかいなかったのね』と思われる男を選んではいけないわけよ。」

「世間」から評価されるような男を選ばないといけない。つまり、見かけがよくて、収入があって、将来性もあって、それほど年上じゃない人。そりゃ、なかなか見つからんわな。

何度も指摘しているとおり、結婚相談所は女性に入会して欲しいが、結婚して欲しくないのである。簡単には結婚できないように、男性を選択する基準を大幅に上げておいて、結婚できないのは「アナタのせいじゃない。イイ男がいないだけだ」と大嘘を吹き込む。私に言わせれば、まさに「アナタのせい」なのである。

…と言い切れないこともあるけどね。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

★彼氏・彼女のどこを触ればいい?

再び「発掘!あるある大事典2」の「愛情を取り戻す方程式」のページから。

お互いに、相手の体に触れあうことで親密さが取り戻せるらしい。問題は、触るタイミングと、触る場所。残念ながら、タイミングは自分で考えてもらうしかないが、場所については「ここがいい」というのがあるらしい。

1966年アメリカの心理学者、ジェラルドは、学生2000人を対象に、恋人に触れられると嬉しい場所を調査。その結果、男女それぞれ、触られて嬉しい場所が顕著にあることが判ったのです。

男性のおよそ6割が答えたのは、二の腕。
そして女性の6割が答えたのは、髪の毛や頭。

これ、男性が二の腕を触られるのがうれしいのは、確かにそうだと思う。私の場合は、何だか頼られているような気がするので、素直にうれしい。人前でもできるし、いい方法だ。だが、逆は難しいのではないかな? ページの方では、体験者の男性が涙ぐましい努力をして、のびをした後、触れるとか、マッサージをしているときに触れるとか、工夫した様子が紹介されている。

ただ、これって本質的な解決になっているかが怪しいと思う。髪の毛や頭は、ふざけて触られてもうれしくないのではないかな。むしろ、抱きしめられているとき、優しく髪の毛を掻き上げられたり、そっと頭を抱えられたりするのがいいんじゃないかなあ?

| | コメント (6) | トラックバック (1)

★冷めた夫婦はどうすれば元に戻るか

「発掘!あるある大事典2」の「愛情を取り戻す方程式」のページから。

相手を見たときの瞳孔の開き方で、相手をどう思っているかがわかるらしい。冷めた夫婦では、男性はこんな感じ。

妻を見た瞬間瞳孔はあまり大きな変化を示しません。これは自分にとって見慣れたもので今更驚くものではない、何と無関心状態。

そして、女性はというと、こんな感じ。

なんと3人とも、夫を見た瞬間に瞳孔が急速に小さくなり、しかも相手を確認してもそのままの状態が続いたのです。これは明らかに夫に嫌悪感を抱いている証拠。

ちなみに、新婚夫婦の場合は…。

新婚夫婦の場合は、一瞬縮みますが、相手がわかるとすぐに拡大。これは相手を受け入れている証拠。

じゃあ、もう冷めてしまった夫婦はどうすればいいのか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

★ずっと彼氏がいないあなたへ

タイトルは、岩月謙司の書いた本の書名。もちろん女性向けなので、私が読んでもあまり役には立たないかもしれない(苦笑)。

あれこれ一人で考えているくらいなら、思い切って「えいやっ!」と告白してしまった方がいいのです。(中略)フラれた瞬間は「ガーン」となるかもしれませんが、すぐに晴れ晴れとした気持ちに変わるはずです。フラれたショックよりも、告白できた満足感、自分の心に忠実に生きたという誇りの方が勝るからです。縁がなかったと、次の恋の準備ができます。

ホンマか? この部分、女性だけではなく、男性にも当てはまると思うのだが、私の体験から考えると、そんなにうまくはいかないぞ。と思っていたら、次の部分に制限条件が書いてあった。

ただし、これは「本気で相手を好き」な場合に限ります。本気でない場合は、自分を拒んだ相手を恨んだり、ああやっぱり自分はダメな人間だとますますイジケます。

そうか・・・。よく考えてみれば、本気で好きになった女性に結構衝撃的なフラれ方をしたことがあったが、心の傷にはなっていないなあ。

問題は、どういうのが「本気で相手を好き」ということか、ということかも。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

★何をしてあげたい?何をしてほしい?

「カルメン'77」さん記事から。某巨大掲示板(って、やっぱり2ちゃんねるでしょうか?)に「自分が与えるもの>相手から受け取るもの」となることを考えないといけない、という書き込みがあったらしい。以下は、rhythmさんのコメント。

お見合いとかの場では優位に立つことが多い?し、女性だととかく彼氏に~してもらいたいっていうのが優先しがちだと思うのですが、これを読んではっとしました。そこで、将来、自分は一体何を与えてあげられるんだろうと考えてしまいました。私が与えられるものってなんだろう・・・うーむ。

男性諸兄は、何をしてあげたい&何をしてもらいたいのだろうか。女性諸姉は、何をして欲しい&何をしてあげたいのだろうか。

人によりけり、だと思う。私は、してほしいこととしては“理解して欲しい”“受け入れて欲しい”というのが真っ先に来るけれど、そうでない男性も多いだろう。してあげたいこととしては、“いつも関心を持っていてあげたい”“真剣に話を聞いてあげたい”かな。これも、違う考えの男性は多いと思う。

“してあげたい”と“してほしい”が、男女の間で一致すれば一番いいのだが、完全に合致しなくても互いに意見を交換することで、差を埋めていくことはできるんじゃないかなあ。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

★援交はなぜ悪いのか

援助交際を悪いとする理由はいろいろあるだろうが、その一つとして。
内田樹「子どもは判ってくれない」より。

自分の身体が本当にしたがっていることは何か(休息なのか、活動なのか、緊張なのか、弛緩なのか…)、身体が求めている食物は何か、姿勢は何か、音楽は何か、衣服は何か、装飾は何か…それを感じ取ることが自分に対する敬意の第一歩であると私は思う。(110ページ)

援助交際で見知らぬオヤジに抱かれることが、本当に快いものであれば、それは(この理屈で言えば)悪くない。ただ、本当に身体がキモチよくて、見知らぬオヤジに抱かれる子がそんなにたくさんいるとは思えない。

内田は、敬意というのはまず自分から自分に対して送るものであり、自分に対する敬意というのは、まず自分の身体に対する敬意から始まるのだと言う。つまり、自分の身体に対する敬意を怠る者は、他人から敬意を払われることはない、手っ取り早く言えば「オマエは低級な人間だよ」と言われるわけだ。

…だから、たまにショパンの小品が聴きたくなったり、ハイドンの弦四が聴きたくなって、CDショップに飛び込んでもいいのだ>自分(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

★結婚したいならカタログショッピングは止めなさい

「SPA!」4月27日号「結婚してもらえない男と呼ばないで!」特集から。心理学者の富田隆氏は、結婚についての考えを語る。

結婚を考える際、自分の性的魅力や頭の良さなど恋愛市場で高く売れる部分を総動員して、それに見合った人を見つけよう、という発想をしてはいけないということだ。(中略)「カタログを見るようにいい人を待っていると、どんどん時間が経ってチャンスを逃してしまいます」(53ページ)

この意見と正反対のことを(暗に)勧めているのが、ツヴァイをはじめとした大手結婚相談所だ。“これだけたくさんの会員がいるので、アナタにぴったりの人を選ぶことができますよ”というのを、どこもウリにしている(はず)。

…ただ、これ、「結婚したい」と考えていない人の耳には届かないし、「条件のいい人と出会わなければ結婚しなくてよい」と考えている人もあまり真剣には聞いてくれないと思うなあ。いろいろな条件を考え合わせると、日本社会は少子化の影響をもろに食らって、長期的にはどんどん活気を失っていく以外にないような。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

★いつから「私の子ども」と言えますか(続)

こちらの記事の続き。鷲田清一『教養としての「死」を考える』から。

人はいつ生まれいつ死ぬのかと問われたら、私はこう答えたいと思います。「親が自分の子だと認識したときに生まれ、一方、その人を知っている人が誰もいなくなったときに死ぬのだ」と。(31ページ)

鷲田は「誕生においては、客観的な個体の状態に基づいて命のあるなしの問題に線を引くことなど、とてもできない」とも言う。つまり、“まだ3ヶ月目だから、子ども(人間)ではない”という線を引くことはできない、ということ。不要になった受精卵を、「余剰胚」として捨ててしまうことに抵抗がない人や、実験などに“有効利用”してしまおうとする考えのもとには、「人間は、母親の胎内で十月十日過ごし、五体満足で生まれてこそ、人間である」という前提がある。そして、その前提は、科学技術によって“有効利用”される「余剰胚」を作り出している。

是とするか否とするかは一人一人が考えることであろうが、そういう構造は知っておいた方がいいと思う。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

★女性が自立するということ

内田樹「子どもは判ってくれない」より。自立というのは、「バカな他人にこき使われないですむ」ことだと断じる。

「あら、あたしは何も社会的能力ないけど、金持ちの男つかまえるからいいのよ」というような不埒なことを言う女もいる。

だが夫に稼ぎがあって、「高価でおいしいイタリアンレストラン」や「広い家」が確保されていたとしても、夫が「バカな他人」である限り、自己決定の道は構造的に閉ざされている。だって、何の社会的能力もない女を喜んで妻に迎えるような男は、家事労働者と性的愛玩物として「こき使う」ことしか配偶者に求めていないからだ。(106ページ)

まあ、結婚にはいろんな場合があると思う。「何の社会的能力もない女」と結婚したがる男はともかく、成り行きで結婚してしまうことだってあるはずだ。だから、結論はちょっと言い過ぎという感じもするが…。

それより、外国に留学したいと思っている若者に、ちょっと読んで欲しい個所がある。

大学卒業後、外国に留学する学生が多い。しかし、二年や三年漫然とアメリカやフランスにいたくらいで習得できる「技術や知識」にはほとんど付加価値が伴わない。(中略)どのような場所であれ、そこで獲得できる社会的リソースは、そこで過ごした時間の密度と、そこに投じた努力の対価である。漫然と過ごした時間に対しては、誰も「値札」を付けてくれない。(106ページ)

これで思い出したのだが、以前勤めていた会社にアルバイトで来ていた大学生で、とある大学の理系学部に通っていたのだが、何の理由か進級できず、それを契機に退学してしまった女性がいた。その女性の姉は結構なエリートコースを歩んでいたらしく、学生時代に留学して、有名企業でばりばり仕事をしていたようだ。どうも彼女の方は、姉にコンプレックスを抱いていたみたいで、いろんな人が止めたのだが、どうしても留学するといって聞かず、とうとう北米のどこかに留学したとのこと。

今考えてみると、その女性にとって重要だったのは、留学することによって中退という“汚点”のついた自分の人生をリセットすることだったのかな、と思う。リセット自体が悪いわけじゃないが、何の目的もなく留学して、少し英語が話せるくらいでマトモな仕事にありつけるほど、今の日本は甘くない。

…ということを、当時はきちんと説明できなかったなあ。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

★彼or彼女に声をかけるべきか否か

内田樹「子どもは判ってくれない」より。

「しなかったことについての悔い」は長い時間をかけて「悔い」として根を下ろしたものであり、その「悔い」そのものが人格の一部を成しているような種類の「悔い」であり、「してしまったことについての悔い」というのは、「できるだけ早く忘れた方がいい」種類の悔いであって、だいたい私たちはすぐに「出来事」も「悔い」も含めて、まとめて忘れてしまうものなのである。(83ページ)

「そうだ、そうだ」と頷ける人は、今日から積極的に行動しよう! 横断歩道で信号待ちをしている若い女性がいれば、声をかけてみるのもいい。「あの、どこかでお会いしませんでした?」とか「写真を撮らせてくださいませんか?」でもいい。出会いパーティに出かけていって、手当たり次第に名刺をばらまくのもいい。もし無視されても、「ばっかじゃないの!」と言われても、そのうち忘れる。できるだけ早く忘れて、次に行くことが重要だ。

逆に、「してしまったことについての悔い」の方が大きいと思う人、アナタはどうしようもない。声をかけて簡単に振られてしまったとき、「声をかけなければよかった」とグチグチ思うタイプなら、まずは“簡単に振られるのが当然”と思えるまで、自分の精神をトレーニングする必要がある。

とはいえ、「してしまったことについての悔い」が大きいというのは、一種の“個性”である。ぬぐいがたい“刻印”を背負っているのかもしれない。そう考えると、それを大切にしていくのも悪くないような気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

★子どもに一番必要なこと

鷲田清一『教養としての「死」を考える』から。

子どもは、誰でも自分の意思が関わらないところで生まれてくるわけですから、それでも生きていかなければならないとしたら、少なくとも、ここにいてもいいということくらいは無条件に保証されている必要があります。理由はどうあれ、ここにいていいのだという感覚は、その意味で私たち人間にとって、生存を形作るための欠くことのできない要素の一つだと思います。(42ページ)

“無条件で、ここにいてもいい”という感覚。持っている人にはピンと来ないかもしれないが、親から与えられなかった人間にはいつまでも引っかかる問題だ。“いい子でないと捨てられる”“言うことを聞かないと受け入れられない”といった幼少期を過ごした者は、親が死ぬまで、親の存在を呪い続けるしか自分の心の平衡を保つ方法はない。いや、「ない」のではないが、それがもっとも安定した在り方だと思う。そして、親が死んでから、あるいは自分が子どもを持ってから、やっと和解するのである。

こんなヤヤコシイことにしないためにも、親は子どもを無条件で受け入れるようにして欲しいものだ。塾なんか、行かせなくていいからさっ!

| | コメント (5) | トラックバック (0)

★相手を変えたいときには自分を変えよう

バツイチ女性のジハードさんの「我慢するって、勝ち?負け?」から。

SAちゃん曰く、「相手を変えたいと思う時は、自分を変えるコト!」である。(中略)

SA: 「そんなことないよ。相手を変えるのは大変だけど、それに比べたら自分を変えるのはすごく簡単なコトじゃん!自分が変われば、自然と相手も変わってくるんだよ。それが、相手を変える一番早い方法なんだよ。」

確かに、男女の間がうまく進展しないとき、「アンタ(オマエ)が悪い。こうすべきだ」と言うのは簡単だが、なかなか問題の解決にならないことが少なくない。そういうときにお勧めなのが、自分を変えること。上の引用に出てくるSAさんの仰るように「自分を変えるのはすごく簡単なコトじゃん!」とは思わない(逆に難しいと思う)が、しかし、相手が自分の思い通りに変えるよりは易しい場合が多いだろう。

ただ、この方法を何かの駆け引きに使うのは、あまり感心しないけどね。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

★「Deep Love」はやっぱり駄作か?

「ARTIFACT」さんで紹介されていた、「Deep Love」評価記事には、大笑いしてしまった。やっぱり、この程度の読み方をしておくのが普通かもね。

たとえば、このあたり。

『本当に誰とも付き合わなかったの?』「そうよ、恋をしたのはあの人だけよ!」『今でも好きなの?』「好きよ!愛してるわ!」

おばあちゃんは激しい口調で言った。その言葉は一点の曇りもなかった。そして、写真を見るおばあちゃんの目は、まるで17歳の少女のようにアユには見えた。(50ページ)

『 』が主人公のアユ(17歳)のセリフだが、「 」は「おばあちゃん」のセリフ。若くとも60代以上の女性が、数十年前に亡くした夫のことを「好きよ!愛してるわ!」と語るだろうか。もちろん、そのような話し方をする女性だと読み手が納得できれば、これは小説だから、全然かまわないのだが…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

★知らずに全人格を否定してませんか

カルメン'77さん記事から。

恥ずかしながら高齢?恋愛未経験ってなにか、自分の全人格まで否定されてるような気持ちになっちゃうんですよね。自分は社会不適合者じゃないかとか。恋愛しなくても別に死なないのにね。

ここのシチュエーションはちょっと違うのだが…。
結婚相談所で何とか会うところまでこぎ着けた人と、まあまあの雰囲気で別れてから、何回か電話して留守電にメッセージを入れても、まったく音沙汰がないことが何度もあった。

こういうときが一番へこむ。何が気に入らなかったのかがわからないから、とりあえず全部否定されたのではないか、人格が気に入らなかったのかな、と考えてしまう。しかも、相手は結婚相談所のシステムを使って、断りの連絡を入れる手間さえ省いているのである。「アンタって、サイテーね」と言われているような気がして仕方がない。

もちろん、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」だ。そんなことは、もうわかった。私が心を尽くしても、それは「下手な鉄砲」で、手に入るものはせいぜいハトかキジなわけだ。

くだらん。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

★いつから「私の子ども」と言えますか

鷲田清一『教養としての「死」を考える』から。不妊治療では、受精卵を複数採取し、そのうちのいずれかが着床すれば、残りは「余剰胚」として捨てられてしまうとか。現在、その「余剰胚」を“有効利用”した研究も盛んらしい。

ある不妊治療をテーマにしたシンポジウムのディスカッションで、話の中で受精胚がモノのように扱われることにいたたまれなくなった一人の女性が、会場から手を挙げ、「私は余剰胚が捨てられるときに、お葬式をしました」と発言し、参加していたパネリストたちが思わず失笑したという話があります。(29ページ)

さて、アナタはどちらですか? 失笑しますか、それとも「へええ」と思いますか。

私なりの考えを書く前に、よかったら、ちょっと考えてください。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

★ネット不倫が流行る上海

上海では、不倫が原因で離婚する夫婦が増加しているらしい。不倫相手を探す場所は、主にネットだとか。ソースはこちら

離婚問題を専門に扱う賈明軍・弁護士は、なぜ結婚して間もない夫婦が離婚をするのかについて、結婚して間もない夫婦は結婚生活の開始後に、これまで見えなかった相手の欠点を知り、その若さから、相手の欠点を受け入れられないケースが多いと説明。そうした夫婦間の不和から不倫、離婚に至るというパターンが主流になっていると話す。

一時期、日本でも「成田離婚」が流行ったが、理由は同じ。付き合っているときに見えなかった相手の欠点が、24時間一緒にいることによって見えてきただけ。いずこも同じだよね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

★分かち合う悦び

またまた岩月謙司『なぜ、男は「女はバカ」と思ってしまうのか』から。

お金があれば、グリーン車やファーストクラスに乗ることができます。とても豪華でらくちんです。でも、グリーン車に乗ることで得られる「ラク」という快感よりも、愛し合っている二人が「おいしいね」「よかったね」「うれしいね」と共感することで得られる悦びの方がはるかに大きいのです。(174ページ)

分かち合う悦びが女性の心を満たし、それがないと女性の心は空虚になり、苦痛を感じるとか。

分かち合う相手は、ここでは恋人や配偶者を指しているが、実際は男性に限らないだろう。友達でもいいし、子どもでもいい。ただ、誰かいないと辛いだろうということは、容易に想像が付く。逆に言えば、誰かと心の底から共感できて、そこから悦びが得られるなら、心は満たされるということだ。

「じゃあ、どうすればいいのよ」という質問に対しては、残念ながら、画一的な答えを出すことはできないが…。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

★「女の方が男よりもオトク」と思いますか?>女性のみなさま

またまた岩月謙司『なぜ、男は「女はバカ」と思ってしまうのか』から。ちなみに、今、村上春樹「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を毎日40ページくらいずつ読んでいるが、これは恋愛小説ではないので、ここで紹介すべきところはほとんどない。

女性の場合の自己受容は、女性性の受容がメインなのです。つまり、「ああ、自分は女性であってよかったなあ」「女性に生まれてきてよかったなあ」という体験をすることです。極端に言えば「女の方が男よりもオトクだな」と思える体験です。(220ページ)

続いて、岩月は、女性が自分の女性性を受容するためには「父親から愛されること」が重要だとする。「父性愛をもらっていない場合も、女性は男性を応援することはできません。お父さんから愛されていないと、『誰が男を応援なんかしてやるもんか!』という気持ちになってしまうのです」(218ページ)とのこと。

いかがなものでしょうか?>女性のみなさま

| | コメント (6) | トラックバック (1)

★植草クン、スマン!

キミの動機がフェティシズムであったことに気づかなかったとは、うっかりしていた。15歳の女子高生のスカートを手鏡で覗こうとしたのは、単なる出来心ではないようだ。参考資料はこちら

植草容疑者は逮捕される約2時間前の8日午後1時すぎ、JR横浜駅でエスカレーターを上り下りしながらミニスカートの女性をつけ回すなど不審な行動を繰り返しているところを、テロ警戒のため巡回していた神奈川県警鉄道警察隊員に見つかっている。

約1時間以上も同駅周辺で物色した後、JR横須賀線で東京方面に向かったため、同隊員も尾行を開始。自宅近くの品川駅で下車した植草容疑者は、改札を出て高輪口に向かったが、途中、下りエスカレーターですれ違った女子高生に目をつけた。

なかなかである。1時間もミニスカートの女性を物色し、自分の趣向に合う女性を見つけ出そうと努力するあたり、さすが大学のセンセではないか。自分の欲望の向かう先をきっちりと分類して、「これだ」と言えるあたり、さすがだね。まあ、もちろん、現代日本では違法であり、社会的な信用をなくす行為であることは言うまでもない。代償は大きいけれど、フェティシズムにとらわれた人間であれば、社会的な信用より“大切なもの”が何かはわかっているはずだし。後悔はしないでね。>植草クン

| | コメント (2) | トラックバック (0)

★「世界の中心で、愛をさけぶ」が200万部突破

何度か取り上げた、片山恭一の「世界の中心で、愛をさけぶ」が200万部突破だとか。ソースはこちら

作家片山恭一さんの小説「世界の中心で、愛をさけぶ」(小学館)の発行部数が13日、201万部に達した。国内作家の小説で200万部を超えたのは、村上春樹さんの「ノルウェイの森」(講談社、1987年)以来。「世界の―」は2001年4月発売。突然重い病に侵された女性とその恋人の切ない恋愛を描く。5月8日には同名の映画も公開される。

偶然だが、村上春樹「ノルウェイの森」も一度ここで取り上げた。いずれも恋愛小説で、主人公の男性が恋する少女は死んでしまうところが共通だが、違う点もいろいろあると思う。

まずは、長さ。「世界の中心で」を文庫本にしたら、1冊の薄めの文庫になるが、「ノルウェイの森」は上下巻に別れている。次に、わかりやすさ。「世界の中心で」は高校生なら十分読めるし、中学生でもストーリーは追える。それに対して、「ノルウェイの森」は、たとえば「羊をめぐる冒険」ほどではないにしても、重層的な物語だ。中学生でストーリーを追える者は少ないだろうし、高校生でも面倒な小説に読み慣れていないと無理。

こういうところに、大衆(私を含む)の求めるものの移り変わりの一端が現れているのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

★女子高生のスカートの中がナンボのもんじゃい!

大学のセンセが手鏡で女子高生のスカートの中を覗こうとして、痴漢(未遂?)で捕まった。どうやら有名人らしい(私はよく知らない)。原文はこちら

 経済評論家で早稲田大学大学院教授の植草一秀容疑者(43)が東京都港区のJR品川駅で女子高生のスカートの中をのぞこうとしたとして、都迷惑防止条例違反(迷惑行為)の現行犯で逮捕されていたことが、12日分かった。

大学のセンセだから、破廉恥なことをしてはいけない…というつもりは毛頭ない。大学やその他学校のセンセだって普通の人間だから、痴漢や殺人やら犯罪を犯すことがあっても、それは仕方ない。当然、罪は償ってもらうけれど。

ただね、女子高生のスカートの中に興味を抱く自分が、“性的に未熟”な部分を抱えていることを知らずにいたとしたら、それは非常に愚かだと思う。こんなことを言うと、女性は目を三角にすると思うけれど、“未熟さの魅力”というのは確かにある。でなければ、こんなに援助交際が流行るはずがない。

しかし、未熟さは未熟さ。底は浅い。それで満足できるとしたら、それを求める自分自身が未熟であることの証左とはならないか。だいたい、女子高生のスカートの中身に幻想を抱けるようなチェリーボーイは、イイ女に嫌われるぜ。

…え、大学のセンセには、そんな奴ばかりだ? 知ってるよ、そんなこと(諦)。あ、ちなみに、ショタコンも同じ。以上。おわり。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

★男性がいい仕事をするには

岩月謙司『なぜ、男は「女はバカ」と思ってしまうのか』から。女性には、「人を肯定する力」「受容の魅力」があふれている、と岩月は言う。それによって、男性が励まされる部分が大きい。

男性は一人の女性から受容され、応援されると、全宇宙を味方に付けたような気分になるのです。勇気百倍です。こういう状態だと男性はいい仕事ができるのです。いい仕事をすることで男性は自分に自信が持てますので、ますます女性(自分を受容し、応援してくれた女性)を愛することができるようになります。(215ページ)

ちょっと極端かなあと思うが、似たような経験は(幸いなことに)ある。少なく見積もっても、ほぼ連続した期間に3人の女性から励まされて、今の自分があることは否定できない(付記:言うまでもないが、恋愛関係や肉体関係には進展しなかった)。それぞれの女性は、その時々に必要なものを私に与えてくれたのだと、今は思っている。それによって、それ以前の自分と、それ以降の自分との間には、明らかに断絶がある。

もちろん、それ以外の無数の女性から足蹴にされているのだが、それはアタリマエのことだから捨て置く。また、その3人がすべて既婚女性であったことも、また(私以外の誰にとっても)大したことではないので、これも捨て置く。

ただ、きっと物事はそんなに単純ではないのだろうと思う。

(追記)
誤解を招きそうな部分に解説を加えました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

★運転の下手な女性は、不誠実な男性としか結婚できない

岩月謙司『なぜ、男は「女はバカ」と思ってしまうのか』から。

気が付かないからとはいえ、傍若無人な運転をしている女性に魅力はありません。誠実な男性ほど、そうした無神経で気遣いのない女性を敬遠するものです。危険な運転をしてクラクションを鳴らされ、逆ギレしてしまうような無神経な女性に近づいてくるのは、、歩きながらたばこを吸って、吸い殻をそのまま道路に捨ててしまうような無神経な男性だけです。(中略)不誠実な女性に誠実な男性は近寄っては来ません。(135ページ)

“運転が下手な女性”というより、“自分の運転のことを気遣わない女性”というべきかもね。

それにしても、実際はどうなのかな。「傍若無人な運転をしている女性」と「不誠実な女性」のいずれにも出会う機会はあるけれど、両方が重なるかどうかは、私の少ない知り合いの中では検証不能なので、どのくらい当てはまるかはノーコメント。岩月の言うとおりだとすると、両者は重なるはずだけどね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

★「夫は私に無関心で困る」の意味

岩月謙司『なぜ、男は「女はバカ」と思ってしまうのか』をぱらぱらと読み返していて、気づいたところを。

女性の喜びの1つは、誰かに見守られ、興味を持たれるというものだとか。自分が楽しいのか、悲しいのかについて、いつも興味を持ってもらえるという安心が快感につながるらしい。

「夫は私に無関心で困る」という主婦の訴えは、夫が自分の心の状態に無関心で困る、という意味です。妻の顔や体に無関心ということではありません。妻が幸福に生きているかどうか、ということに無関心で困る、という意味なのです。誰も自分の幸福に関心がないという状況は女性を不安にさせます。(123ページ)

夫婦の関係を作るための初級編、といったところかな。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

★定年後に向けての準備

小嵐九八郎「妻をみなおす」から。本のタイトルを見ると、妻という存在を見直すことを通じて、女性に対して温かい目を向けるものかと思いきや、あちこちに女性蔑視の文句がちりばめられているので、ちょっと注意。

夫が定年を迎えるときに向けて、夫婦がそろって準備しなければならないことがある、とか。

夫の仕事離れ、イコール定年。ほぼ同時に、妻の子離れ、イコール子どもへの幻想の喪失となる。いよいよ夫婦はこれからが大切となる。実際は、ここに至る過程が大切と思う。果たして、性について一生懸命に励んで、積み重ねてきたのか。子どもの、それぞれの時期に、夫婦で責任の分担を話し合い反省と方針を出し合ってきたのか。(中略)要の、人生とは何か、愛することとは何か、死とは何かを時には立ち返って切実なテーマにしてきたのか。みんな、問われる。それで普通、この問いを日常にかまけて置き忘れて過ごしてしまうから、お手上げとなる。(207ページ)

まあ、「人生とは何か」「愛することとは何か」「死とは何か」を四六時中考えている、私のような人間もどうかと思うが、考えたことがない方は少し考えてみることをお勧めする。今の夫婦関係の改善にもつながるかもしれないし、将来の夫婦関係の改善にはかなり役立つはず。

そんなことを言われても…と思われる方に、1つだけヒント。理屈と体験を照らし合わせてみるところから出発すると、考えを深めやすい。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

★「私のこと、好き?」と聞く理由

内田樹「疲れすぎて眠れぬ夜のために」より。

法律的な結婚をしないで、純粋に愛だけでつながっている関係は、愛がなくなった瞬間に終わってしまいます。終わってしまうというより、「終わらなければいけない」わけです。(中略)ですから、「愛だけで結ばれた二人」は絶えず「愛してる?」と相手に確認を入れなくてはいけません。でもね、これってけっこうストレスフルですよ。(211ページ)

でも、「愛してる?」と言いたくなるときはある。内田によると、それは実際に契約が履行されているかどうかを確認するためではなく、それが楽しいからだそうだ。

確かに、答えがわかっていても、「私のこと、好き?」と聞きたくなる気持ちはわかる。そういう質問に対しては、「好きだよ」以外の答え、「あなたのこことここが、今でも好きで、昨日は我慢ならなかったあそこは我慢できるようになった」という分析的な答えを聞きたいわけではない。もちろん、「うーん、ちょっと嫌いになったかな」とか「今日は忙しいので、昨日の2/3程度だな」とか、そういうことは全然聞きたくない。

とにかく、楽しいのだ。「好き?」「好き!」などという、他人にはまったく理解不能な会話も、気持ちが通じ合っている二人にとっては、意味に溢れているのだ。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

★生きていくのに十分な記憶

またまた市川拓司「いま、会いにゆきます」から。「ぼく」は、澪と別れたつもりでいた。いくつかの記憶で十分生きていけると思っていた。

杏色のワンピース。バレッタで留めた長い髪。モヘアのセーター。ポケットの中で触れ合った指と指。そして、ニットの耳当て。すばらしい。これだけあれば一生困ることもない。きっと人生なんて「あっ」という間に終わっていくのだろうから、思い返す記憶なんてそんなにたくさんはいらない。たったひとつの恋。ただひとりの恋人。そしてデート3回分の挿話。それで十分。

記憶は、いくら大切なものでも、薄れていったり変質していったりする。だから、亡くなった肉親のことを、笑いながら話すこともできるようになる。

ただ、忘れかけていた記憶を新たに(と言っていいかとわからないが)思い出すことも可能だ。連想を働かせれば、かなり細かいことまで思い出して、何度も味わうこともできると思う。ある種の人間は、そういう記憶を頼りに生きていくこともできるのかもしれない。前向きだとは言い難いけれど。

デート3回分の挿話で生きていけるかどうか、暇な人は試してみて、結果を教えていただきたい。ちなみに、自分で連想を働かせてみたところ、デートのことではなく、10年近く前に亡くなった祖父のことと、30年近く前に見たUFOのこと(苦笑)を思い出した。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

★それが、いい

市川拓司「いま、会いにゆきます」から。先日の記事にあまりにも似ているので、ちょっと驚いてしまった個所を今日は紹介しよう。

神経の病気になって、普通の生活が送れなくなった大学生の「ぼく」は、当時、時々会っていた澪に別れを切り出そうとする。

できれば、きみが自分から離れていってくれるのが望ましい。たとえば、ぼく以外の誰かを好きになるとか。そうすれば、きみはきっと遠からずぼくのことを忘れていってしまうだろう。

それが、いい。(192ページ)

「ぼく」は、自分の病気のことを澪に知らせず、冷たい男だと思わせるために演技する。澪が自分のことを見限ってくれれば、澪は傷つかない。そう判断してのことだ。

私だったら、全部洗いざらい話した上で、「ぼくのために、きみを苦しませたり悩ませたりさせたくないから」と言って、絶対に引かないかな。

でも、「私はそれでもいい」と言い張られたら、なかなか苦しい。「きみの苦しむ姿をぼくが見たくないから」というのは利己的(本当に好きなら、相手が苦しんでいる姿から目をそらしてはいけないと思う)だし、「それは、きみのためによくない」というのは傲慢(自分のために何がよいかは、大人なら自分で判断するから)だし…。

やっぱり、これが正解なのかな、と思う。

それにしても、この小説、冒頭の50ページくらい、何を言いたいのか全然わからなかった。途中で読むのを止めようと思ったくらいだ。物語の中程から、とにかくページを繰る速度を上げて、何とかおもしろくなってきたけれど。ちなみに、以前紹介した「Deep Love 第一部 アユの物語」は、小説としては、これよりずっとデキが悪い。とはいえ、売れるためのツボは外していないと思うけどね(実際売れてるし)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

★「いってきます」に愛を込める

市川拓司「いま、会いにゆきます」から。「ぼく」と「ぼく」の息子は、1年前に死んだはずの妻であり、母である澪を見つけて、自宅に連れて帰る。「ぼく」は妻の澪と一緒に暮らした日々が戻ってきたのに、信じられない思いでいる。

「いってきます」 愛を込めて、ぼくは言った。「おはよう」とか「おやすみ」とか「おいしいね」とか「大丈夫?」とか「ちゃんと眠れた?」とか「こっちに来て」とか、そんな何気ない言葉すべてに愛が宿っている。それが夫婦なんだと、ぼくは思った。(117ページ)

「夫婦ってそんなに甘いものじゃないよ」「夫婦生活って戦いだよねえ」「理想は理想。現実は現実」という言葉が聞こえてきそうだ。もちろん、それは正しいと思う。

それと同じくらい、正しいと思うのが、「おはよう」とか「おやすみ」とか「おいしいね」とか「大丈夫?」とか「ちゃんと眠れた?」とか「こっちに来て」とか、そういう言葉に愛を込めること。

「愛って何よ」と問われるかもしれないが、私は思考回路が変なので、駅のホームで、別の方向の電車に乗って、手を小さく振ったこととか、旅先の居酒屋で、自分だけ飲んでいたこととか、まだ恋人ではなかったときに礼儀正しく会釈して別れたこととか、冬の夕暮れに公園で手を握って散歩したこととか、そんなことを全部覚えていることとか、そういうことしか思いつかない。

でも、全部終わったこと。終わったこと。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

★他人の不在がもたらす痛み

村上春樹「回転木馬のデッドヒート」から。「僕」は、学生時代のある夜、雑魚寝しているときにたまたま抱き合ってしまった女性の消息を、彼女と結婚している男性から聞くことになった。

「死というのは極めて特殊な出来事です。僕は時々人の生は、かなり大きな部分を他の誰かの死のもたらすエネルギーによって、あるいは欠損感と言ってもいいんですが、そういうものによって規定されているんじゃないかと感じることがあります。でも彼女はそういったことに対してあまりにも無防備でした。要するに(中略)彼女は自分のことだけを真剣に考えることに慣れきっていたんです。それのおかげで、他人の不在がもたらす痛みというものを、彼女は想像することさえできなくなっていたんです」(97ページ)

私のように、年がら年中、過去のことを振り返っているのもよくないが、たまには後ろ向きになってみるのもいいと思う。

少し話がずれるが、「失ったら代わりのものを得ればよい」という考え方、つまりは「友達とケンカしたら、別の友達を見つけよう」「彼女に振られたら、別の彼女を探せばよい」「結婚に失敗したら、次の相手を見つければいい」「子どもが死んだから、もう1人作ろう」(最後のはさすがに不謹慎だが)という考え方は前向きで、それなりに有効なのだが、そればかりだと何か見落とすことになるような気がしてならない。

「他人の不在がもたらす痛み」に、重要な何かをかぎ取るのは間違っているのかなあ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

★その方がいい

村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス(下)」から。中学校の同級生で、今は俳優として活躍し、くだらない青春映画に出演している五反田君と「僕」は、なぜか気があって親密な話をするようになる。五反田君は、妻と離婚した「僕」に、別の形で妻と会うことを勧める。

「君も別れた奥さんと会ってみれば?」「駄目だよ。別の誰かともうすぐ結婚するんだ。そのことは言わなかったっけ?」彼は首を振った。「聞いてない。でもそれは残念だな」「いや、その方がいいんだ。残念じゃない」と僕は言った。その方がいい。(講談社文庫、170ページ)

昔、といっても、それほど遠い昔ではないが、好きだった女の子に告白してみたら、実は当時の親友のことが好きだと言われて、見事に振られたことがあった。そのとき、私は彼女に「それはいい選択だ」と言った。

それから私は、離れていく人に向かって、「それはいい選択だ」という言葉を投げかけるようになった。これからもそうだろう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

★妊娠させても学校は辞めるな(続)

「君を愛しているのかどうか、ぼくにはよくわからないんだ。でもね、『君を愛しているかどうかよくわからない』と君に告白するぼくの誠実さだけは信じてほしい。」もちろん、彼女は憤然と去ってしまった。(内田樹『子どもは判ってくれない』、7ページ)

大人はこんな告白の仕方は(普通)しない。誠実さをそのまま相手にぶつけることが、相手の理解を得られるとは限らないと知っているからだ。

先の記事はアドバイスではない。まあ、アドバイスとして読むのはかまわないけど、普通の大人なら、いつも職場でやっていることをそのまま当てはめただけだ。

普通の大人は、職場では自分の権限の及ぶ範囲をわきまえ、能力の及ぶ範囲で力を尽くして仕事をする。どこかの大臣のように、せいぜい1,2年の任期しかないのに、どう考えても任期中にできないことがわかっている約束、たとえば「成田空港の用地の収容に同意してくれたら、自分の命を差し出す」などという、実にくだらない、ガキのような約束はしない。

普通の大人が職場でする仕事と同じように考えてみれば、彼女を妊娠させたとき、先の記事で書いたようなことをするのが、当たり前だ。もちろん、現実には仕事の失敗を他人のせいにする大人が少なくないように、そういう責任を回避する大人もまた少なくないけどね。

で、私は「デキちゃったら学校辞めて働きますよ」という若者(高校生かな)の文言が“甘い”とだけ言いたかったのではなくて、責任の取り方として「学校を辞めて、働けばいいんでしょ?」という短絡的な方法は不適当だと言いたかったのだ。

確かに学校を辞めて働けば、妻子を食わせることはできるかもしれない。しかし、自分の人生を、妻子の人生とあわせてトータルで考えてみたときに、高校や大学を中退したり、大学進学を止めたりするのは、決してよい判断とは言えない。すっきりするかもしれないが、問題をよい方法で解決したとは言い難いと思う。むしろ、今とりあえず必要なモノ(働くことによって得られるお金や、意図しない妊娠を強いたことに対する「免罪符」)を得られてしまうことによって、問題をうやむやに解決したことにしてないか。

「妊娠させても学校は辞めるな」で言いたかったコトは、問題を“うまく解決したことにする”のではなく、問題はもっとも適当な解決方法が見つかるまで抱え続けよ、というコトだ。人生における問題は、今すぐ解決してしまうのが必ずしも最善とは限らない。割り切れない思いをしてでも、いい形での解決を目指して、問題を抱え続けるということを、若者にこそ試してもらいたい…と、オジサンは思うのだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

★妊娠させても学校は辞めるな

検索していたら、こういうのに当たった。元ネタはこちら

僕は続けざまに、「ちゃんと避妊はしろよ。責任取れるならいいだろうけど」と言うと、彼は「たまにしてないけど、もしデキちゃったら学校辞めて働きますよ」と豪語していた。

こちらの「彼」は、結局彼女を妊娠させ、しかも中絶させてしまったらしい。これはこれで大きな問題だが、若者(特に十代)に認識しておいて欲しいのは、“デキちゃったら学校辞めて働きますよ”という文言の甘さだ。

この「彼」は高校生のようだが、大学生でも同じこと。高校中退や大学中退が世間でどのように扱われるのか、知らないから言えることだ。本当に妊娠させた責任を取るつもりなら…

妊娠させた彼女の家に行って、はっきりと「自分が避妊しなかったから、彼女を妊娠させてしまいました」と彼女の両親に謝る。彼女の父親に殴られる(これはオプション)。「顔も見たくない」という彼女の両親に、「その子の父親は自分であり、その子に対する権利と責任があるので、そういうわけにはいかない」と言う。自分の両親にも、彼女を妊娠させたことをはっきりと言い、借用書を書いて、子どもの養育費を毎月借りる。彼女には彼女自身の両親に対する借用書を書いてもらう。学校は辞めず、自分の将来への希望を考えつつ、ちゃんとした仕事に就けるように努力する。必要なら、大学に進学する。子供が生まれる前に入籍しておく。入籍したら、彼女の親戚などにも挨拶に行く。自分の両親から借りた金は、必ず返す…などなど。

まあ、最低限、このくらいやろうね(苦笑)。普通の大人はこのくらいやってるから。

| | コメント (4) | トラックバック (3)

★富める人はますます富み、貧しき人はますます貧しくなる

カルメン'77さんで紹介されていた記事から。

たくさんの異性と接していれば、それだけ異性に対する評価・判断も厳しくなり、恋愛対象外の人は増えてしまう。また、魅力の基準がひとつで、男女の出会いが多くなれば、それだけモテない人は多くなる。

上の引用だけでなく、元の記事も読んでいただきたいが、確かにそうだと思う。確実な数字をつかんでいるわけではないので、ここから先は推測だが、結婚相談所の入会者が増える一方で、結婚相談所に入会していても結婚できない人は増え続けるはず。

なかなか難しい世の中である。

| | コメント (7) | トラックバック (1)

★工事してますが、営業中です。

あちこちいじってみました。いろいろ考えたのですが、一応、スタイルが定着してきたので、このスタイルで続けることを前提に全体をスクラップ&ビルド中です。昔の記事で、不要なものや不適切なものは、ざくざく刈り取っています。

この作業に伴って、特に問題のないはずのコメントやトラックバックを削除することがあります。どうぞご了承のほどを。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

★新婚夫婦の会話

言語学者のローマン・ヤコブソンが著書で新婚夫婦の会話を取り上げているらしい。内田樹「疲れすぎて眠れぬ夜のために」より。

「とうとう着いたね」「着いたわね」「いい景色だね」「ほんと、いい景色」「気持ちいいね」「ええ、すごくいい気持ち」…この会話は情報交換のためのものではありません。そうではなくて、「ここにあなたからのメッセージを一言漏らさず聞いている聞き手がいますよ」という事実を告げるためのコミュニケーションなのです。(83ページ)

特に男性は話を前に進めたがるので、注意が必要だ。このような会話の役割を交話的機能と呼ぶらしいが、ビジネスではあまり重要ではない。ビジネスはとにかく効率的に物事を進めるのが普通だ。交話的な会話をしている場合ではないのだ。

ただ、それを恋人や夫婦の間に持ち込んではいけない、と思う。交話的な会話は、愛し合う人たちの間では、重要な会話なのだ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

女性にとっての「潮吹き」とは

またまた今一生『「出会い系」時代の恋愛社会学』から。「潮吹き」のやり方は、あちこちに説明があるので、省略…しようかと思ったけど、とりあえず読者サービス(笑)。でも、一部伏せ字にします(笑)。

AV男優の指使いを観察してみると、おまんこに中指と人差し指を第二関節くらいまで挿入し、素早く出し入れしている。実際におまんこに指を入れて触るとよくわかるのだが、この指の位置は、お腹側のプクッとした肉の丘(Gスポットの後ろあたり)、ここを圧迫するように刺激するのがいいようだ。(中略)ポイントは、自分の手でも相手の手でも、片方の手のひら全体で恥骨を覆い、少し圧迫すると楽に吹ける、ということと、おまんこを締めない方がいい、ということ。(206ページ~)

どこかで読んだのだが、これを試すときは、爪は短く切っておいた方がよいらしい。あと、指をペニスに見立てて出し入れすればよいのではない。的確に特定のポイントを刺激することが重要だ。また、力を抜いてもらうために、男性は女性がリラックスできるように、あらゆる手段をとることも重要。

基本的に、女性が自分でやることは難しいと思うが、実際に試みて成功した人もいるらしい。そこで感じられたのが、「ずっと眠り続けていたおまんこを呼び覚ましてあげたような不思議な解放感と一体感」だとか。

女性が、セックスに対する(広い意味での)感じ方を自分でコントロールするのは一般的に難しいが、それをなしえた、と思うからだろうか。

…今一生のこの本、部分的には、かなり突っ込んで考える価値はあるが、消化不良のところが多いなあ、という感じ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

女性の社会進出が持つ、負の側面

価値観が多様であることは重要なことだと思う。
再び、内田樹「疲れすぎて眠れぬ夜のために」から。

高い地位や高い賃金を求めて、寝食を忘れ、家族を顧みずにがりがり働くお父さんに対して、「そんなことどうでもいいじゃないの」「それよりもっとおいしいものを食べてほっこりしましょうよ」というお母さんがいて、二つの価値観がせめぎ合うという形で伝統的な家庭はバランスを取ってきたはずです。(中略)ところが、今の女性たちが求めている「社会進出」というのは、(中略)これまで女性が持ってきた批評性を放棄して、男性的価値観に一元化しつつある、というふうにも言えると思います。(38ページ)

著者も別の場所で書いているが、ラジカルなフェミニズムではこんな考え方は受け入れられないのであろう。

著者の意図とは少し違うのだが、お父さんが「がりがり働く」家庭で、お母さんが「ほっこりしましょうよ」と批評性を発揮するのは悪くないと思うが、お父さんが「ほっこりしようよ」という家庭なら、お母さんの役割はどうなるのだろうか。あるいは、お父さんが「がりがり働く」と「ほっこりしようよ」の両方の価値観をすでに持っているとしたら、お母さんの役割はいったい何だろうか。

仕事一筋の男性のことを、私はちょっとバカにしているところがある。“仕事一筋で、女性の気持ちをわかろうとしない男性は、女性を幸せにしない”という前提で、ここではたくさん書いてきた。

しかし、もしかすると、このスタンスというのは、社会学的に考えれば間違いなのかもしれない。特に、「ほっこりしましょうよ」という女性(こういうタイプの女性は今でも少なくない)に対しては、むしろ仕事一筋であり、そして後でそれを後悔する(これが大切だが)男の方がいいのかもしれない。

…って言っても、私は無理だけどね。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

愛情は育てるもの

彼(女)が自分のことを愛してくれているかどうか、試したい人に。内田樹「疲れすぎて眠れぬ夜のために」から。

相手が自分のことをどれほど愛しているのか知ろうとして、愛情を「試す」人がいます。無理難題を吹きかけたり、傷つけたり、裏切ったり…さまざまな「試練」を愛情に与えて、それを生き延びたら、それが「ほんとうの愛情だ」というようなことを考える。でも、これは間違ってますよ。愛情は「試す」ものではありません。「育てる」ものです。(13ページ)

愛情を“試す”とは、愛情に試練を与えてみて、生き延びるかどうかを調べ、そして判断すること。もし生き延びなかったら=愛情が枯れてしまったら、それは本当ではなかった、と“断罪”する。

愛情を“育てる”とは、愛情の成長具合を調べながらも、決して無理をさせないこと。生き延びられないような試練は与えないこと。“生かす”こと。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

相手の目を見てセックスできるか

またまた今一生『「出会い系」時代の恋愛社会学』から。一時期、よくマスコミに出ていたAV監督の代々木忠が「相手の目を見てセックスしろ」というアドバイスをしていたらしい。ちなみに、このアドバイスを受け入れるべきは、男性だろう。女性はセックスの最中に目を開けて、ずっと相手を見ているのはむしろ難しいようだ。

セックスすることで起こるすべての問題(妊娠、性病、セックス後の関係の変質など)を二人で請け負っていきたいと思えるだけの信頼関係が(セックスに至る前に)築かれていなければ、互いに相手の目を見つめ合うなんてできないだろう。だが、見つめ合うことができるなら、相手の表情に思わず関心が寄せられ、自分や相手の内面/外面の変わり映えを受け入れて反射的により深い快感の行為へスムーズに移るよう体が動くこともできるはずなのだ。(74ページ)

信頼関係を築くこととセックスすることの順番は、まあ好きなようにすればいいが、信頼関係→セックスの順番の方が問題が起こりにくいと思う。そして、信頼関係が築けていれば、セックスの際にも目を開いて、相手(女性だろうな)の目を見ることができる。相手の前に、文字通り素っ裸で立つことができる。

…って思うんだけど、どうかなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2004年3月 | トップページ | 2004年5月 »