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“熱い生き甲斐”ってどうよ

またまた今一生『「出会い系」時代の恋愛社会学』から。

男たちは、(中略)仕事や趣味(賃金労働以外)などに明確な生き甲斐を発見できないでいる。そのことのためなら時間も手間も金も惜しまず、努力や困難があればあるほど「よっしゃ~!やったえ(ママ)るでぇ~!」と武者震いするような熱い生き甲斐を見つけられず、退屈をもてあまし、自分が何に悩んでいるかさえも見ようとしない輩も珍しくない。そういうスカッとしない男たちが増えているのは事実だろう。(51ページ)

はいはい、ステレオタイプなご意見ありがとう、ってところだ。女性には是非わかっていただきたいが、今の日本社会はオトコたちが「よっしゃー、やったるでー」などと武者震いできる対象を持ち、あるいは持ち続けるのは、もうムチャクチャに難しいのだ。

どう難しいのか、例を書いてみたが、やっぱり止めておく。個々人の想像力に任せよう。

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自分を丸ごと理解してもらうには(続)

コミットメントとデタッチメントの話を書いたところで、1つ前の記事の話に戻る。もう一度、今一生『「出会い系」時代の恋愛社会学』から。

今日の若い女たちの中には、べたべたした疑似親子関係のような恋愛に飽き始めている人も増えているのだ。(中略)「セックスしたぐらいで恋人や旦那気取りは止めてくれ!」というわけだ。疑似親子関係のような恋愛=束縛ごっこでお互いを縛りあうところに『愛』があると信じ込もうとするさまは、都市・郊外に住んでテレクラや出会い系サイトで恋愛ごっこを積み重ねてきた女子高生・女子大生たちの一部では、気持ちの悪い冗談になりつつある。(50ページ)

ここでの「疑似親子関係」とは、“自分のことを丸ごと理解してくれている”と双方が感じている状態を言う。つまり、“丸ごと理解してくれる”ことを相手に求めず、同時に、相手に束縛されず、また相手を束縛しない関係こそ、ベストである。そう考える若い女性が増えているそうだ。

まあ、いつかも書いたと思うが、相手のことを「好きだ」と思い、「もっと知り合いたい」と感じるのが恋愛感情であるとすれば、恋愛感情が育っていく過程のどこでセックスというファクターを増やすかは、二人が好きなようにすればいい。セックスを最初に持ってきて、あとで恋愛感情を育ててもいいし、恋愛感情が確かなものになるまで待ってもいいだろう。ただ、セックスという“コト”をナメてかかると、いろんな形でしっぺ返しを受けるので、気を付けた方がいいとは思うけどね。

それで、このように考える若い女性は、完全なコミットメント=“丸ごと理解してくれている”=疑似親子関係を求めず、そうかといって、完全なデタッチメント=異性と一切関わらない状態を選択するわけではない。コミットメントとデタッチメントの微妙なバランスが彼女らにとって重要なのだ。

今はまだ、そんな女性に会う機会はあまりないが、これからは増えてくるのだろうなあ。

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コミットメントとデタッチメント

コミットメントとは“関わること”、デタッチメントとは“関わらないこと”。村上春樹は、学生紛争の頃はコミットメントが若者の意識では主流であったが、その後、デタッチメントに主流が移ったと言う。

結局、あのころは、僕らの世代にとってはコミットメントの時代だったんですよね。それから一瞬のうちにデタッチメントに行ってしまうのですね。それは僕だけではなくて、僕の世代に通ずることなのではないかという気はするんです。(「村上春樹、河合隼雄に会いに行く」、20ページ)

それを受けて、河合隼雄は今も若者の意識では「デタッチメントの気分は非常に強い」と言う。「コミットする奴は、極端に言えば、バカだと、そのぐらいの感じがある」とのこと。確かに、そうだよな。

この考え方でいけば、恋愛って、究極のコミットメントだと思う。勝手に破棄できない婚姻契約を相手と結んで、自分の所有物と相手の所有物の境界をなくし、素っ裸になった自分を相手に見せるのだからね。

※コミットメントについて、もう少し知りたい人は↓こちらへ
なるイズム

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自分を丸ごと理解してもらうには

1000人もの男とセックスした元・主婦(有名人らしい)が抱く理想の男性像、恋愛観は、特に変わったものではないらしい。見た目と性格がそこそこ、そして、自分の行動を丸ごと理解してくれれば、それでいいとか。ところが、それが難しい。なぜか。

「私の行動を丸ごと全部理解してくれる」役割は、親に期待するようなことかもしれないが、真っ先に「他者」に期待できるようなことではなく、慎重な確認と合意のプロセスがなければ保証されないものだろうと、僕は考える。(今一生『「出会い系」時代の恋愛社会学』、49ページ)

ここはその通りだと思う。慎重に相互関係を築き上げていかない限り、「丸ごと理解される/理解する」という関係はあり得ない。逆に言えば、慎重に関係を積み上げていけば、「丸ごと理解される/理解する」関係は十分あり得る。自分や相手の能力の問題、周囲の環境の問題もあるから、必ずそんな関係が手に入るとは限らないけどね。

ただ、実はこの話の問題点は、ここにはない。

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セックス依存症とは何か

セックス依存症とは、“セックスが好きで好きでたまらない”ということではないらしい。セックスの回数も関係ないとか。今一生『「出会い系」時代の恋愛社会学』から。

セックス依存症を病む人にとってのセックスは、そもそも「相手から必要とされている感覚」を得るための手段であり、セックスすること自体が必ずしも目的ではない。だが、いざ依存症を患うと、「自分にとってのセックスはそれ自体が目的か、他の何かを得るための手段か」という区別はお構いなしになってしまい、自分も相手も気持ちよくなるために何が必要かといった思いやりを持てる程度の心のゆとりさえ失ってしまう。(28ページ)

“本当にそうしたいのかどうか”がわからなくなって、セックスそのものではなく、“受け入れられている”という感覚を求めてするセックス。どんなものかは想像さえつかないが、不特定多数に求めるべきでないことくらいはわかる。“受け入れられている”という感覚を与え続けるには、深い相互理解が必要だからね。知らない相手を深く受け入れることはできないし。

今一生は、原因は思春期の親子関係にあるのではないかと推測しているが、確かにその可能性は大きいだろう。思春期までに無条件で親に受け入れられる体験をせず、「いい子でいたら愛してあげる」「テストでいい点を取ったら受け入れてあげる」などという条件を満たすことを迫られる子どもは少なくない。

そういう子どもが、自分でセックスをコントロールできる年齢になって、“相手から必要とされる感覚”“相手に受け入れられている感覚”を味わうためにセックスにのめり込むのは、むしろ自然なことだと想う。決して、幸せなことではないけれどね。

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なくしたもの、過ぎ去ったことを想う

片山恭一「世界の中心で、愛をさけぶ」から。アキが死んで10年が経ち、「僕」は別の女性を伴って故郷に帰ってくる。そして、アキと一緒に時間を過ごした母校の中学校を訪れる。

耳のすぐそばで、彼女はしゃべっていた。懐かしい、あのはにかむような声で。やさしい心はどこへ行ったのだろう。アキという一人の人間の中に包み込まれていた美しいもの、善いもの、繊細なものは、どこへ行ってしまったのだろう。(中略)あるいはいつか、ここへ戻ってくることがあるのだろうか。

この後、肌身離さず持っていたアキのお骨を、「僕」はまいてしまう。アキは、世界の両端に--初めと終わりに--いるのだと感じて、お骨を持っている必要はないと感じたのだ。

なくしたものや過ぎ去ったことを思い返すとき、人間は自分の無力さを思い知る。カネも名声も権力も、何の役にも立たない。むしろ、一生ここから目を遠ざけていられるなら、そうした方がいいと想うくらいだ。感じる力があれば、よけいに悲しくなるからね。

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誰と同じ墓に入りたいですか

以前、どこかで読んだ話なのだが、親がそろそろ病に倒れる頃になると、自分がどこの墓に入ることになるかが問題になってくるそうだ。

片山恭一「世界の中心で、愛をさけぶ」で紹介されていた「葛生」という漢詩から。

夏之日,
冬之夜。
百歳之後,
歸于其居。

冬之夜。
夏之日,
百歳之後,
歸于其室。

前半も後半も、「幾多の夏の日を過ごし、幾多の冬の日を過ごして、百年もの歳月を過ごした後、生を終えたら、あの人の眠るこの墓に入ろう」などという意味。

こういうモノを読んで考えていると、収入だの見た目だので選ばれる場面に身を置くのが、つくづくバカバカしくなってしまう。

※参考としたホームページ
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/p97.htm
http://members.jcom.home.ne.jp/highfar01fighter/666momeko.html


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幸せの記憶

片山恭一「世界の中心で、愛をさけぶ」から。主人公の高校生「僕」は、美少女の同級生アキと付き合うようになり、その幸せをかみしめる。

突然、恐ろしい確信にとらわれた。どんなに長く生きても、今以上の幸福は望めない。僕にできるのは、ただこの幸福を、いつまでも大切に保ち続けていくことだけだ。自分が手にしている幸福が、空恐ろしいものに感じられた。もし一人一人に与えられた幸せの量が決まっているのだとすれば、この瞬間に、一生分の幸福を蕩尽しようとしているのかもしれなかった。(小学館、26ページ)

この気持ちを「青いなあ」と評することは簡単だ。幸せの中に、かなえられていない自分の希望の影を見いだして、少し不幸になるのがオトナはとても得意だから。思春期を過ぎれば、幸せの中に幸せだけを見て、その幸せに恐ろしさを感じるなんて、ほとんどの人にとっては無理になる。

でも、思い出すと心が温かくなるような、そんな“幸せの記憶”は持っていたいものだ。もちろん、恋愛でなくてもいいし、今付き合っている相手と作った記憶でなくてもいい(理想は今付き合っている相手と作った記憶だけど)。ただ、仕事とか趣味とかにしか“幸せの記憶”がない人は、パートナーが恋愛に“幸せの記憶”を持っているときに、ちょっと困ったことになるかもしれない。相手の気持ちがわからなくてね。その心配がなければ、大丈夫だと思う。

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夫婦が一緒に過ごす時間の意味

私は結婚したことがないので、新婚の時期を過ぎて、配偶者と一緒にいるのが普通になったとき、相手について何を考えるのかがほとんど想像できない(新婚の時期は想像できなくはない)。「未婚のクセに、偉そうなことを書くな」とお叱りを受けそうだが、まあ、それはこのサイトのお約束ですから。

夫婦が一緒に過ごすことが、夫婦の将来にいったい何をもたらすのか。最近、よく考える。互いに浮気せず、仕事に家事に一生懸命働き、それなりの収入と子どもがあれば、別にコミュニケーションをはかる必要なんてないんじゃない?…と思う人がいるかもしれない。そういう人に読んでいただきたいのが、以下の記事。毎日新聞のサイトから。

夫は6年前に脳内出血で倒れて失語症となり、他人とかかわりたがらなくなった。イライラしやすく、ささいなことで声を荒らげることもあるという。池田さんは「倒れるまでは、どこへ行くのも一緒で、何でも話すようにしていた。その積み重ねがあったから、今も自然な気持ちで向き合える」と話す。

60前の主婦の話だが、いい意味での“馴れ合い”が病に倒れた相手を看護する気持ちの源泉となるようだ。未婚の人にとっては“いかに条件のよい相手を捕まえるか”で精一杯だろうし、既婚の人でも、若い人にはピンと来ないだろうなあ。

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夫に理解してもらうには

人はなかなか変われない。離婚したくらいで、相手への思いやりの大切さ、コミュニケーションをとることの大切さに気づく人はほとんどいない(と思っている)。でも、いないわけじゃない。

毎日新聞のサイトから。40代バツイチ女性は、30代前半で離婚して、8年経った今、ふと「結婚してみたい」と思うことがあるらしい。

「結婚していたころは、不機嫌な時や悲しい時、夫に対して『言わなくても分かってよ』という思いがあった。でも言葉にしなければ相手には伝わらない。今から思えば思いやりが足りませんでした」と振り返る。今ならもっと素直に「自分はこうしてほしい」「今こんな気持ちなので分かって」と伝え、よい関係を築ける気がする。「一番好きな人なのだから、気持ちを伝える努力を一番怠ってはいけないんですよね」

夫に理解を求める女性は、よく考えた方がいい。理解じゃなくて、経済力とかカッコよさを求める女性は、あまり考えなくても大丈夫。数字や見た目でわかるからね。

ただ、夫に理解して欲しい女性は、(たぶん結婚する前から)相手に自分の意思や感情を伝えることをサボってはいけない。“何も言わないでも察してくれて、いろいろやってくれるのでありがたい”と思うのは男も女も一緒だが、そこで甘えていてはイケナイ。

そして、「自分はこうしてほしい」「こんな気持ちをわかって」と言ったときに、「わかった。そうしよう」「あ、そうだったんだ」と素直に言える相手かどうかを見極めるのが重要なポイント…だと思うのだが、本当はどうなのだろう。

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強すぎるのも問題かも

またまた毎日新聞のサイトから。60代女性の投稿より。

私も主人が強すぎて地獄のような日々を過ごした一人です。自営業なので一日中一緒でした。主人は毎晩どころか一晩に2度のことも珍しくありません。私はうっとうしくて家の中を逃げ回ったり、トイレに入ってカギをかけたり、息子の布団にもぐりこんで隠れたり、一度は脅かすつもりで布団の中に包丁を持ち込んで寝たこともあります。

このご主人、ガンにかかって1年で亡くなったらしい。ふと思ったのだが、もしかするとこの女性が「強すぎる」と表現している状態は、何かの病気ではないのかなあ。

それにしても、「身も心も疲れ果てて、離婚を何度も考え」たほど、夫に精神的に追いつめられていたのに、「それを除けばいい人なので」という評価を与えているのが理解に苦しむ。本当に「いい人」なら、妻が「身も心も疲れ果て」るまでセックスを強要しないと思うのだが…。

夫婦間のミスコミュニケーションが、一番根っこにあるんじゃないかなあ。

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イケる女性は魅力的?

ちょっと判断できないのだが、自分とのセックスで確実にイケる女性がいたら、そこから絶対に抜け出せないと思うのだろうか?>男性諸氏 元ネタはこちら

男性が、確実にイクことのできる女性に巡り会ってしまったら、そこから抜け出すのは非常に困難なことだと思います。男性のセックスの喜びは、自分がイクことが10%、相手がイクことが90%ですから。

確かに、男性にとって“女性をイカせる”ことは、大きな精神的快感であろう。自分のペニスによって、あるいは自分の指などによって悶絶する女性を見ることは、男の征服欲を満たし、自分に“力”があることを認識させてくれる。これと射精の快感が、男性の性欲のほぼ100%を構成していると(私は)思う。

もちろん、精神的快感と肉体的快感のどちらがどのくらい大きいのかは、個人差が大きいだろうが、精神的快感をまったく感じさせない=愛撫にも全然感じない=“まぐろ”状態の女性を嫌う男性は多いようだ。

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「悲しいセックスレス」その後

またまた毎日新聞のサイトから。以前、ここで紹介した、セックスレスに悩む既婚女性(28歳)が、その後について投稿している。

「あなたが変わらないなら、離婚も辞さない」という前振りで話し合いを始めた。「俺(おれ)は君を愛しているから、別れたくない」と開口一番、彼は言った。「私も愛している。けれどセックスがこのまま無いのなら、新しい人生を歩みたい」と言った。彼はしばらく黙っていたが、「すぐに治すのは無理だけど、手をつないだり、髪を撫(な)でたり腕枕することはできる。君がそんなに苦しんでいるなら俺は努力するよ」。

子どもを実家に預けて、その晩、手をつないで抱き合って眠り、「翌朝、目が覚めたとき、横の彼を久しぶりにたまらなくいとおしく思えた」らしい。

ここから先が大変だろう。この女性はセックスレスが原因と思われるうつ病にしばらく悩んでいたらしいが、これで改善されるだろうと自分で分析している。きっと、治療が必要なのは、この女性ではなく、夫の方なのだろうが、何にせよ解決の糸口が見つかったことは悪くない。

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野外でのセックスが流行?

ネットで打ち合わせて、野外の特定の場所に複数の男女が集まり、露出癖のあるカップルがセックスするのを見る"dogging"というのが、イギリスで流行っているらしい。いわゆる「アオカン」ではない。元ネタはこちら。どこかのblogで紹介されていたのを読んだのだが、どこで読んだか失念した(スミマセン)。

ドッギングは、テクノロジー、フリーセックス、ナンパ、のぞき見趣味を組み合わせたものといえる。つまり、大小の群集が、ネットで知り合った露出癖のあるカップルが自動車の中でセックスするのを見て、ときには一緒に加わるといった具合だ。

この社会現象は、イギリスにとどまらず、ヨーロッパの他の国や米国などにも飛び火する兆候があるとか。まあ、いろんなことを考えるものだ。

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心温まる艶話

尼と僧侶の間に起こった心温まる艶話を。「古今著聞集」にある話を、田中貴子が紹介している。ある尼に一目惚れした僧侶が、尼の邸宅に使用人として入り込み、隙をうかがっていたが、疲れて眠ってしまった尼を犯すことにやっと成功した。

いよいよ、とはやる心で僧はついに尼を犯すことに成功したのだが、驚いて起きた尼は行為の途中で持仏堂に走っていき、しきりに鉦(かね)を叩いている。僧は真っ暗な心地になったが、尼が「どこにいるの?」と呼んだので答えると、今度は尼の方から抱きついてきた。行為の後、どうして途中で止めたのかと聞くと、尼は「だって、こんないい思いは仏様にも知らせたかったからよ」と言った。その後、二人は夫婦となった。(前掲書、46ページ)

まあ、今の日本で男が同じことをすれば、単にレイプで捕まるだけ。こんな話は出来の悪いポルノにしか出てこないから、読み方が難しいが…。それでも、「いい思い」を仏様にも知らせたかった、というあたりがとてもいい。牧歌的すぎると感じる人もいるだろうけれど。

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男は顔…だとさ

学者センセイの本によると、やはりそうらしい(苦笑)。まあ、「女は若さと胸」という見方もあるし、お互い様なのだが。

田中貴子「もてようがない男 だまされやすい女」から。

どんな男が「もてる」のか、という問題は時代によっても違うし、人々の価値観によっても異なるだろう。結婚の相手なのか、恋人かによっても、女性が男性に求める要素は違っているはずだ。だがしかし、私はこのあいだ、街でふと小耳に挟んだ女子中学生の男性観に、大きな発見をしたのだ。彼女らは、「彼氏」の条件として「心四対顔六」は最低必要だ、と話していたのである。「心三対顔七」ならもっといい、とも。つまり中身より顔なのだ。(14ページ)

「結婚の相手なのか、恋人かによっても、女性が男性に求める要素は違っている」とは、よく言われる。女性自身も、よくそう仰る。しかし、だんだん信用できなくなってきた。本当は違うのではないか。「うちの旦那は顔はブサイクだよ」と言われたら、「いや、お宅の御主人は背が180cm以上あるじゃないですか」とか「筋肉質で、少なくとも体はカッコイイじゃないですか」とか「とりあえず、痩せているのに貧相じゃない顔立ちをしてるじゃないですか」と反論したくなってしまう。

ブ男、デブ、チビ(もう一つ加えれば、ハゲ)は、やはりモテナイのである。もう一つ追い打ちをかけるなら、結婚市場でも相手にされないのである。そういう条件を本当に無視する、ごくわずかな女性が周囲にたまたま存在するか、結婚相談所などでたまたまそういう人に出会う僥倖に恵まれた男のみが結婚できるわけだ。

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エロスが違う方向に向くと…

(心理学で言う)エロスは、必ずしも異性に向くとは限らない。結婚した男女が、ロマンチックな関係を終えてしまい、「井戸掘り」もしないとなると、いったいどうなるか。

日本人の場合は、異性を通じて自分の世界を広めると言うことを、もうすっかり止めてしまうというのもあるんですね。(前掲書、107ページ)

それで何をするかというと、学者になったり、会社人間になったり、子どもの教育に熱中したり…。確かに、そういう人たちは、私の周りにも掃いて捨てるほどいる。「井戸掘り」をしようとする人の方が少ないように思えるが、実際はどうなのだろう。

とはいえ、どちらがいいというわけでもない。それこそ、一人一人の選択なのだから。

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ロマンチックな関係を長続きさせるには

セックスしちゃいかんらしい(苦笑)。

ロマンチック・ラブを長続きさせようと思ったら、性的関係を持ってはならないんです。性的関係を持ちながらロマンチック・ラブの考えを永続させようというのは、不可能なんだとぼくは思うんです。(前掲書、105ページ)

ふっと思ったのだが、なぜセックスはロマンチックな関係を壊してしまうのだろうか。やはり、セックスの最中は男も女もあさましい格好をしているからか?

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結婚と離婚を繰り返すこととは?

離婚そのものを“悪いこと”とする時代は、半ば終わりかけている。ただ、何度も結婚と離婚を繰り返す人は、ちょっと注意した方がいいらしい。もう一度、「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」から。

村上/何度も結婚する人がいますよね、三回も四回も。 河合/そういうのはたいてい、井戸掘りを拒否しているんですね。井戸を掘るのはしんどいから、掘らないであちこち別の人を捜しているけれど、結局、同じような人を相手にしていますよ。

酒乱や暴力をふるうダメ男が“好き”な女性もいて、そういう女性は、我慢できなくなったら次のダメ男を捜す傾向にあるので、ここで言っている理由とはちょっと違うのだろうけれど。

ただ、今の日本というのは、「井戸掘り」が結婚の一側面だということを薄々感じていても、いろんな情報にだまされてしまって、「井戸掘り」以外の部分で相手を選ぶ傾向にあるんじゃないかな、と思う。

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愛し合って結婚しても幸福にならない?

愛し合っている男女が一緒に暮らすから幸福になれる。これがフィクションであること、1つの“物語”であって、現実とは何の関係もないことは、今さら声高に言うことでもない。そうなった結果を「互いに対する思いやりが足らないからだ」「愛情が強ければ、そもそも危機はやってこないのだ」と、夫婦のどちらか、あるいは両方を責めるのは間違っているらしい。「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」(新潮文庫)から。

愛し合っているふたりが結婚したら幸福になるという、そんなバカな話はない。そんなことを思って結婚するから憂鬱になるんですね。何のために結婚して夫婦になるのかといったら、苦しむために、「井戸掘り」をするためなんだ、というのが僕の結論なのです。(98ページ)

ただし、結婚は「井戸掘り」だけではない、と欄外の注で河合隼雄が触れている。いいこともある…らしい。私は知らないけどね。

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援交少女からの質問(続き)

じゃあ、「幸せになれよ」という言葉が効力を持つ場面を考えてみよう。

「あなたと会うことは二度ととないかもしれないけれど、私どこに行ってもあなたと直子のこといつまでも覚えているわよ」 僕はレイコさんの目を見た。彼女は泣いていた。僕は思わず彼女に口づけした。周りを通り過ぎる人たちは僕たちのことをじろじろと見ていたけれど、僕にはもうそんなことは気にならなかった。われわれは生きていたし、生き続けることだけを考えなくてはならなかったのだ。「幸せになりなさい」と別れ際にレイコさんは僕に言った。(村上春樹『ノルウェイの森(下)』261ページ 講談社文庫)

ここだけ抜いてきても、読んだことのない人にはまったく意味がないが…。

直子の死を二人で分かち合って耐えてきた「僕」とレイコさんが、直子の“葬式”のあと、セックスをして、そして互いに幸せに生きようとすることを確認しあった場面、と私は読んだ。

ここで、「僕」もレイコさんも「これからも生きていくこと」を前提条件として共有している。そして、「どのように生きていくか」という話になったところで、「幸せに生きていく」という選択肢が現れてくるのだ。決して、「幸せになるために生きる」という話にはならない。

…この話、わかっている人には言うまでもないことで、わかっていない人には「アホか」と言われるだけだろうなあ。

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援交少女からの質問

実際に援交する少女と接点はないので、あしからず。『Deep Love 第一部アユの物語』(スターツ出版)から。

中学3年のとき、進路面接で担任に言われた。「アユ、将来のこと、しっかり考えなきゃダメだぞ!」『…』「アユは、何がしたいんだ?」『別に…』「何できちんと答えられないんだ」『タルイ…』「おまえ、何のために生きているんだ!」『…』「聞いているのか?」『じゃあ、あんたは何のために生きているの?』 担任は一瞬たじろいだが、すぐに言った。「幸せになるためじゃないか」『…』 アユは内心思った。生きる意味なんて誰も知らない。(25ページ)

ここで出てくる担任よりも、アユの方が哲学的な問いを発していることは間違いない。残念ながら、アユには問いを考え続ける“思考の体力”がないので、答えを求めることができず、ここから先には絶対にたどり着かないが。

それにしても、担任の「幸せになるために生きる」というのは、論理矛盾も甚だしい。「幸せである」というのは、「生きている」の1つの状態である。正しくは、「生きているならば、幸せでいたい」である。アユが問うているのは「生きているならば」という前提条件のところである。もしアユが「楽して幸せに生きていたい」と語るならば、「そんなにうまく行くはずがないぞ」と、豊富な事例を並べ立てて脅すといい(効果があるかどうかは別問題)。しかし、「生きているならば」という前提条件を疑う人間に対して、「幸せになれよ」というのはほとんど意味がない。

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女性のオーガズムに関する一つの意見

あくまでも一つの意見であるから、そのつもりで読んでいただきたい。元ネタはこちら

女性の場合は、ノン・オーガズムは決定的な機能破壊に結びつく。特に、性機能廃用萎縮で脆弱化した子宮筋肉では、オーガズムを終了させるだけの力がない。そこから起こるのは子宮筋壁の慢性鬱血による細胞破壊と壊死である。この簡単な原理が分れば、オーガズムは必要か必要でないかなどと暢気なことを言っている暇はない筈である。今すぐ、オーガズムを発生させ、終了させるにはどうしたらいいのか、真剣に考えるべきなのでは。

それなりの研究をした結果の結論のようなので、この部分の真偽の判断は、各自勝手にやっていただきたい。私個人は、「慢性鬱血による細胞破壊と壊死である」というあたりは、かなり過激だな~と思うけれど。

とりあえず、セックスにおいて女性にオーガズムは必要だし、“イッた”と本人が自覚するかどうかはともかく、体も気持ちもほかほかと温まるくらいの、いいセックスをして欲しいものだ。

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不倫がバレた後、妻とセックスできるか

もう一度、同じ元ネタから。30代既婚女性の投稿部分。

実は、セックスレスに悩んでいます。8ヶ月前に、夫が不倫してまして、(かなりはまってました。)何とか別れさせて、今は、以前の家庭に戻りつつあります。最近は、セックスレスも解消しつつあるのですが、私が誘わない限り、決して自分からしようとはしません。また、セックスもかなり自分勝手です。また、悲しい事に、以前は、すぐに興奮状態になってたのに、今は、なかなか興奮してこないようです。途中でダメになるときもあります。

投げやりなダンナの姿が目に浮かぶようだ。楽しく遊んでいたおもちゃを取り上げられて、渋々お手伝いをしている子どものような、そんな感じが見て取れる。

女性の方もいろいろやってみているようだが、そりゃダメでしょ、って感じかも。夫婦の間の関係がきちんとできていないのに、セックスだけうまくいくはずがない。セックスをうまくいかせることで、夫婦間の問題をある程度修復することはできるけれど、それも程度の問題。このケースのように、不倫を妻に責められて、「自分が悪かった。すまん」という感じではなく、「ちっ、ばれちまった。残念だなあ」という感じだと、その後の夫婦関係が修復できているとは言い難いのではないか。

元ネタを読んでいただければわかるが、この相談、実はセックスの相談ではなく、ほとんど人生相談だ。ここまで問題が大きくなっていると、どこかのカウンセラーに話を聞いてもらった方がいい。

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男も辛い?

またまた毎日新聞のサイトから。61歳男性の投稿から。50代になってから、なぜか性的欲求が強くなってきたらしい。

妻は何よりも嫌がるばかりで、わずらわしいとか、体調がすぐれないとかいろいろな理由を並べ立てて完全な「拒否」である。妻に「異常体質では」とまで言われると、私もさすがに反論する気持ちもうせて、悶々(もんもん)としながらも、寂しく早寝するしかない。

“パートナーがセックスを拒絶するので困る”という話は、主に女性側の訴えだと思っていたが、男性側にも切実な人がいるようだ。

ただ、よくよく考えてみると、女性側の訴えがセックスを通じた夫とのコミュニケーションを望んでいるのに対して、この男性の場合はセックスだけである。引用した部分の前に「風俗に行く気にもなれず、不倫に走る程の器量もない。」とあるから、風俗に行く気になったり、不倫に走ることができれば、つまり極端な話、好きなだけ射精できれば、こんな問題は生じないわけなのであろう。

この男性は「男とはいえ同じ立場、よくよく理解できます。」と書いているが、そういう誤解が男女の溝を深くしているような気がするが…。

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★膣内射精障害

平たく言えば、“中出し”できない男の話だが、案外多いようだ。元ネタはこちら

異論はあるようですが、基本的には、マスターベーションの刺激と、挿入の刺激との違いによる快感の不足が原因だと思います。それに精神的要因が加わって、挿入時の勃起減退が起こるものと思われます。女性経験が少ない場合、ちょっとした不安が影響してきます。女性側が、あまり積極的だとマイナスのストレスとなる可能性もあります。

“早漏をどうするか”とか“勃起しないのをどうするか”の方が大問題だ、という人も多かろう。ただ、これはこれで問題の在処がはっきりしないため、本人たちにとってはストレスになることは変わりない。

とにかく、自分の手でするのと挿入してするのは、快感のポイントが違うことを理解して、あとはいろいろやってみること。それから、パートナーの協力は不可欠。完全な受容的態度でなければ、絶対に成功しないと思う。

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